私が河野太郎にブロックされて感じた「満足感」
私はこれまで何度も「河野太郎防衛相は記者会見を1年半近くフリーランスの記者にオープンにしていない」と批判し続けてきた。それでもブロックされなかった。正当な批判だから、当然、河野防衛相が受け止めるべき問題だと思ってきた。
ところが、ブルーインパルスの東京上空飛行をめぐり、河野防衛相が記者会見で「プロセスはどうでもいいだろうと思う」と発言したことを私は問題視した。防衛相として、絶対に言ってはいけないことだと思ったからだ。
そこで私は河野太郎に向けて次のようにツイートした。
<河野太郎防衛大臣 @konotarogomame は自衛隊員を軽視しているのだろうか。自衛隊員を出動させる「プロセス」はとても重要で、決して「どうでもいい」ことではない。自衛隊員が胸を張って仕事をできなくなるようなことを大臣がしてどうするのか。自衛隊員に対する敬意が感じられない。私兵じゃないぞ。>
河野太郎防衛大臣 @konotarogomame は自衛隊員を軽視しているのだろうか。自衛隊員を出動させる「プロセス」はとても重要で、決して「どうでもいい」ことではない。自衛隊員が胸を張って仕事をできなくなるようなことを大臣がしてどうするのか。自衛隊員に対する敬意が感じられない。私兵じゃないぞ。
— 畠山理仁/『黙殺』(集英社文庫)発売中 (@hatakezo) June 2, 2020
そして私はブロックされた。いまだに私の指摘が間違っていたとは思わない。
しかし、不思議なことに、私は河野太郎にブロックされたことで、「ようやく私も1人前になれた」などと妙な満足感を抱いていた。それほど私の周りには、「河野太郎にブロックされた」という人が多かったのだ。「ブロックされない方が異常なのではないか」と錯覚するほどに。
私は河野太郎が繰り出す容赦ないブロックに、かつての彼の魅力であった「攻めの姿勢」を感じていたのかもしれない。これは明らかに異常な状態である。
なぜ“ブロック太郎”を人々は評価するのか
ブロックはTwitterの機能だから、一概に否定はしない。面倒な絡み方をしてくる人も確かにいる。しかし、公的な立場にある者がブロックを連発するのはいただけない。
現役の防衛相である河野は、特別職の国家公務員=全体の奉仕者だ。防衛相しか知り得ない情報や写真もTwitterで発信しているのだから、ブロックなどせず、すべての国民に情報を届ける努力をすべきだろう。
権力者は耳をふさいではいけない。批判を無視し続けるリーダーは「裸の王様」になる。そのうち、「責任を取ればいいというものではない」という糠釘答弁をするようになる。
ちょっと心配になって、『文春オンライン』に掲載された沖縄タイムスの阿部岳記者による記事を読んでみた。そうしたら、もっと心配になった。
阿部記者が河野にブロックされている人をTwitter上で募ったところ、「1日だけでおよそ700人が手を挙げてくれた」という記述を見つけたからだ。