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「金原昇元会長が今も人事握る?」“闇深い”テコンドー協会は半年間で本当に変われたか?

2020/06/20
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 1992年バルセロナ五輪にテコンドー日本代表として出場した高橋美穂はその翌年、まだ19歳であったが、潔く現役を引退する。次のアトランタ五輪からこの種目が外されたことと、彗星の様に現れた岡本依子(シドニー五輪銅メダリスト)に敗戦を喫したことで、第一人者の重圧から解放され、心置きなく道着を脱ぐことが出来たのだ。

 高橋は「引導を渡されたことで私は早くセカンドキャリアに移行が出来た。その意味でも岡本さんは私の恩人」と言う。そしてその岡本に誘われ、2015年にテコンドー協会に理事として帰還する。しかし、約20年ぶりの協会では、選手不在の強化体制、あってはならない国際大会への参加手続き漏れ、不透明な海外遠征費用など、問題が噴出していた(https://bunshun.jp/articles/-/37388)。

 高橋はアスリート委員会の長として、約4年に渡って改革を望む選手の気持ちを伝え続けていた。しかし、金原昇前会長ら協会側が真摯に向き合うことはなかった。高橋は昨年10月に行われた理事会において、協会の混迷の責任をとる意味で自らの辞任と理事の総辞職を訴えるも会議は空転し、7時間に渡って紛糾する。

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インタビューに応えたテコンドー協会元理事の高橋美穂氏。選手として1992年バルセロナ五輪に出場している ©文藝春秋

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「何?(高橋理事が)倒れたの? 俺も倒れようかな」

「あなたを刑事告訴する!」

 テコンドー協会の理事会において、選手のための改革を長時間に渡って主張し続けて来た高橋美穂が最後に役員から受けた言葉は、恫喝だった。ショックによる過呼吸で倒れ、意識を回復したのは、救急車で運ばれた医療施設の中だった。高橋が振り返る。

「大きなストレスが溜まっていました。怒鳴られて身体が痺れて意識が飛んでしまったんですけど、気がついた私が最初にやったのはICレコーダーを確認したことです。協会という組織の中で選手のためにやれることは全部やってきたつもりなのですが、内部では変えることができず、もう記者の方々に実態を知ってもらって世論を動かすしかないと覚悟していたのです。だから、私と岡本さんは、身を守る意味でも理事会に臨むにあたってテレビ局の人からレコーダーを預かっていました。

 私が具合が悪くなって外に出たので岡本さんは駆けつけて、介護してくれたんですが、彼女のカバンは会議室に置いたままだったので、それで金原さんの『何? (高橋理事が)倒れたの? 俺も倒れようかな』という発言とそれに対して理事数名が笑っているという音声が、録れていたんです。翌日、それをフジテレビさんが番組で流して、金原さんがまた激怒するという状況で、もう泥沼が始まっちゃうんですね。ただやっぱり私はアスリート委員長として、声をあげないといけないと考えていました。現役でがんばる選手たちに諦めてほしくなかったんです。テコンドーを愛するものとしてそれは絶対に嫌でした」

テコンドー協会の金原昇元会長 ©AFLO

「美穂さんが倒れたのに笑っているって人としてありえない」

 共に改革を促して来た岡本依子副会長(当時)はこの高橋の言行一致のブレない姿勢に感じ入っていた。