新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所を構え、長年ヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは―― 著作「潜入ルポ ヤクザの修羅場」(文春新書)から一部を抜粋する。

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住吉会の「親戚」

 住吉会の人脈を広げてくれたのは、私と同じ鈴木姓の親分だった。この人はどこでも、「おい親戚、元気でやってるか」と声を掛けてくれ、実際にあちこちの親分を紹介してくれた。この関係がヤクザ社会に入国するためのパスポートとなった。今の私があるのはこの人のおかげである。

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 そのうち自宅に呼ばれるようになった。家には必ずカレーが用意されていた。医食同源の見地から、完全食としてのカレーが常備されているのだ。

 自宅には暴力団の力を利用しようとする人間たちが毎日のように訪れていた。会社役員、芸能人、政治家、詐欺師、金貸し、事件屋(他人のもめごとや争いごとに介入し、金銭的利益をあげる裏稼業)など、魑魅魍魎のオンパレードである。人懐っこい性格で、空港で路頭に迷っていた外国人を拾い、あれこれ世話をしたり、ジョギング中に出会ったホームレスと仲良くなったこともあった。こうした行為が好奇心からなのか、悪事をしている自覚が生み出す贖罪なのか、その点は判然としない。

芸能人が参加する暴力団親分の葬儀

 銀座を勢力範囲とする人だったので、4丁目の交差点で寝ころんで写真を撮り、黒山の人だかりになってしまったこともあった。あちこち食事にも連れていってくれた。こんなときは大抵、芸能人が一緒だった。この親分も最後は、自宅で自殺している。深刻なトラブルの責任をとったためで、生前の交流の幅広さからは考えられないほど静かな葬儀だった。

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 このとき、一人の芸能人が葬儀に参列していた。黒い交際と騒ぎたいわけではない。そんなもの、どこにでもざらにあって、いちいち指摘するのも馬鹿らしい。私が言いたいのは、この芸能人の義理堅さに感動した、ということだ。

 どれだけの大幹部であっても、暴力団の生存基盤はもろい。暴力団たちはちょっとした不始末で築き上げてきたすべてを失ってしまう。力を失った途端、多くの取り巻きが離れていく。そのなかで葬儀に参列までするのだから、芸能人にしては珍しいと感じたのだ。