ヤクザを殺すために必要な「紙」
トップをのぞいて、ヤクザを殺すのに刃物はいらない。たった一枚の絶縁状で事足りる。末端の若い組員なら、偽名を使って他団体に潜り込むこともできるが、それなりに知名度があるとそうはいかない。たとえ建前であっても、それは政治的闘争に利用されるだけの効力を持っている。その認識をおおざっぱに共有することで、暴力団たちは新興団体の成立を拒んでいる。
芸能界と暴力団のつながりはいまも続いている。売れなくなった芸能人のタニマチとして、演歌歌手の興行主として、あちこちでその姿を見かける。相撲界にせよ、いまさらなにを大騒ぎしているのか、と不思議でならない。
稲川会総長からの手紙
友達の友達は友達だ――。
その論理で取材先はどんどん増えていった。稲川会という大組織でも、とっかかりになった組長を媒介として取材先が増えていった。楽しかった記憶しかない。稲川会のある総長からもらった手紙はいまも机の前に貼ってある。
「鈴木さんのヤクザに対する計りをどこに置くか、そしてヤクザに対する理解を読者にどう伝えたいか、ヤクザの本音をどう引き出すか。ワープロに向かって苦労されていると思いますが、そんなに苦労されるだけの対象じゃないですョ! 昔から『ヤクザは利口でできない、馬鹿でも出来ない、中途半端でなお出来ない』と言われる通り、つかみ所のない連中です。現役バリバリの私が言うのですから、信憑性がありますョ!
肩から力を抜いて、原稿に向かってください。鈴木さん、過去にいわゆる暴力団と呼ばれる人たちに、嫌な思い出が必ずあるはずです。一般の読者だって同じです。悪を悪と言えない物書きにはならないでください。私もこの世界を変えるんだ、というビジョンは変わりません。是は是、非は非として、正面から向かい合って生きてください」
この手紙にはしびれた。まだ30歳だった私は、完全にヤクザの肩を持つようになった。
「警官にだって悪徳警官がいる。ヤクザにもいいヤクザがいる」
当時、そんなことをよく原稿に書いた気がする。せっかく「是は是、非は非」とアドバイスをもらったのに、その言葉は私に届かなかった。暴力団を贔屓する心理には、私が天の邪鬼だったことも大きく影響しているだろう。社会的なマイノリティの代弁者になることは、大きな自己陶酔を生み出した。私は完全に酔っぱらっていた。