新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所を構え、長年ヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは―― 著作「潜入ルポ ヤクザの修羅場」(文春新書)から一部を抜粋する。

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『地獄谷』というバー

 通称・地獄谷というバーは、新宿末広亭近くの雑居ビルにあった。表看板は蛍光灯の透過式で「ボタンヌ」という店名の横に音符のイラストが描かれていて時代を感じさせた。ボタンヌという名は、マッチを製作した際、業者がフランス語風に綴ったスペルを間違って印刷し、そのまま定着したらしい。本来は「ボタン」が正式名称である。

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 洒落た名前とは裏腹に、階段を上って店に行くとおどろおどろしい空気に圧倒される。錆び付いた鋲で周囲を飾られた木製ドアは上部がアーチ状になっており、足下部分はニスが剥げ落ち、所々朽ちている。一見するとお化け屋敷の風情だ。吸血鬼が飛び出してきてもおかしくない。

 店内に入ると、芳香剤に腐った果実を混ぜたような甘酸っぱい匂いが鼻をつく。日に1、2人やってくる常連客たちは「古き良き昭和の香り」と笑っていたが、嗅覚の鋭い人はこれだけでアウトだろう。

 まだらになった染みと、所々がすり切れた真っ赤な絨毯の上を歩き、あちこちが破れた白いソファーに座る。裂け目からはみ出した綿は、煙草のヤニで薄茶色に変色していて、触れるとすぐに痒くなる。

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 冷蔵庫はない。注文するならビールがいい。階段の踊り場にある発泡スチロールの箱には、いつも3、4本のビールとそれを冷やすための大きな氷が入っているからだ。それを頼む分にはいいが、水割りなどを注文しようものなら、ビールを冷やしていた氷がそのまま砕かれ、目の前に運ばれる。

 特段、潔癖症ではなくとも、現代に生きる私には心理的抵抗があった。ママは毎日掃除を欠かさない。しかし、それはあくまで戦中戦後の衛生観念に基づいた作業にすぎない。なんど自分でカウンターの奥に入ってグラスを洗ったことだろう。店を手伝おうと思ったのではない。自衛のためだ。

戦後日本のアンダーグラウンドを支え続けた店

 愚連隊の帝王と呼ばれた加納貢、彼の行きつけだったボタンヌには、たしかに雰囲気があった。壁中に貼られたアングラ芝居やヤクザ映画、数十年前のヌードモデルのポスターなどが、ここにしかないオリジナルな空間を作っていた。ただ汚い。いいもわるいもない。汚いのである。

 テーブルのあちこちにはウイスキーの空き瓶や古新聞が散乱し、店内をゴキブリがはい回る。というより、かならず視界のどこかにゴキブリがいる。旧式のクーラーは「飛行機」と呼ばれていた。白煙を吹き出し、会話が出来ないほどうるさい音を立てるからだ。

 週に一度の割合で、私は加納と一緒にボタンヌに行った。アルコールを飲まない加納はいつもコーラかジュースを飲んでいた。ソフトドリンクは私が走って買いに行った。その代金も店の払いも私持ちである。