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 そればかりか、お金を借りたこともあるの。1971年に前の店の地主が土地を売っちゃって、みんなお金もらって出たんだけど、うちの主人は頑固だから居座っちゃったのよ。裁判やったけど負けて、強制執行になったわけ。中央大学の味岡(修)なんて『権力の横暴は許さない! 前日から24時間粘ろう!』ってやってくれたけど、結局駄目だった。その人たちのご飯なんかだって大変だったし、新しい店(現在の店舗)の権利金も必要だったから、色さんが『大変だろう、いくらでも遠慮なく言ってくれ』って。お客さんと一緒に50万円借りにいったの。快諾してくれて、じゃあ次に来るときなにかお見舞い持ってくるからって言ったら、『(サントリー)オールドがいい』なんて、ほんと、根っからお酒が好きなのね。

小説にも描かれた名物ママ

 でも、私、そのくらいしてもらっても当然なのよ。だって色さん、ずいぶんうちの店をネタにしたんだから。『麻雀放浪記』なんて、うちの店で拾った話がずいぶんあるわ。あるときなんて、うちの客だった韓国料理のコックと私がいい仲になり、駆け落ちしたなんて書いてるんだもの、当然だわ(笑)。

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 ほかにも浅沼さん(浅沼稲次郎社会党委員長。1960年10 月、東京・日比谷公会堂で行われた三党首立会演説会で演説中、右翼の少年に壇上で刺され死亡)が応援していた選挙事務所が隣にあって、よく(浅)沼さんがミルクセーキを飲みに来てくれたの。一緒に来てた早稲田の学生なんか、学生結婚で3人も子供がいるくせに『奥さんに迫られるから、夜が来るのが怖い』なんて言っちゃって、そういうのをずいぶんネタにしたみたい。

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ヤクザと色川武大が一悶着

 そうそう、ちょうど旭町のヤクザが来て、ちっちゃい体のくせに大声出して暴れたときがあってね。私そのとき『そんな暴れたら駄目よ、あそこにいる人なんて凄いんだから』と、色さんを指して言ったの。するとそのヤクザが『アレは鶴ヶ嶺(力士で錣山親方の実父)か?』って訊くから、無責任に『そうだ』って答えたわけ。色さんは痩せているけど、骨格がしっかりして、浴衣着てたから、風格が似てるのよ、美男子で。そのヤクザ、いっそう怒っちゃって、『鶴ヶ嶺なんて怖くない。外に出て勝負しようじゃないか』なんて言うから色さん困っちゃってね。でもしっかりそのことも書いてたわ。ほんと、色さん貧乏なときは体も丈夫だしさ、痩せててさ、剣客みたいだったのよ。有名になったらぶくぶく太っちゃって、ズボン吊りなんてしてたけど、昔は洋服なんか着ないで、着流しですもん。病気になってからも来てくれたけど、最後店に来てくれたときは『象の足が胸の上に乗っかってる』なんて、ずっと寝てた。なんたって死んじゃったんだから、きっと天国で死ぬほど飲んでると思うわ」