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 その後も調査で、どのような経緯で慰安所に行くことになったのかを聞いても「小さい船で太平洋に向かった。長い時間がかかった」と漠然とした話が続きます。いくら聞いても基本的な事実が出てこないのです。 

 私が頭を抱えたのは、質問を続け次の言葉を聞いたときでした。 

――慰安所では日本名はあったの? 

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「日本名はない」 

――では、ハルモニは日本兵からは何と呼ばれていたんですか? 

「〇〇(苗字)ヨサと呼ばれていた」 

 〇〇ヨサとは〇〇女史という意味です。先生を意味する敬称で、慰安所で使われていたとは考えにくい。もちろん彼女は韓国政府の慰安婦認定書を持っています。はたして韓国政府がどのような調査をしたのか、疑問を感じました。 

 日本政府は韓国政府に要求して独自の慰安婦調査をすべきだったのです。結局、慰安婦問題において正しい事実確認が出来ていないことが、後々続く不毛な論議の蒸し返しを招いたのです。 

 アジア女性基金では国民募金のお金を使った訳ですから、尚更その中身について確認、説明できるようにしておくべきだったと思います。 

「挺対協ばかり見ている」アジア女性基金側の姿勢

 もう一つの問題は基金側の姿勢です。 

 アジア女性基金の元専務理事の和田春樹・東京大名誉教授は「国民的な和解に失敗した」と無念を口にしました。和田氏は知韓派の学者でしたが、アジア女性基金では挺対協の方ばかりを見ていました。尹貞玉氏や尹美香氏とも密に交流をしていました。 

尹美香氏 ©︎時事通信社

 しかし挺対協の幹部は元慰安婦でもなければ、実被害者でもありません。カウンターパートを間違えているのです。 

 元慰安婦の金田きみ子さんと和田氏が話し合いをしたことがありました。金田さんはこう聞きました。 

「なぜ挺対協の方ばかりと交渉をするのか。もっと元慰安婦の話を聞くべきじゃないか?」 

 和田氏はこう答えたそうです。 

「挺対協は良くやっていますよ」 

 金田さんは頭にきて和田氏にコップの水をぶっかけたそうです。結局、和田氏はハルモニ達の気持ちを最後まで理解しようとはしなかった。 知識人故の言葉遊びに終始し、慰安婦問題の深淵に踏み込もうとはしなかったのです。 

 韓国政府が調査内容を明かさなかったこと、そして日本側が被害実態を把握しないまま「償い金」事業を行おうとしたことが、慰安婦問題の解決をより困難なものにした原因だと私は考えています。 

 アジア女性基金への妨害活動を通じて挺対協はますます発言力を強めていきます。やがて日韓歴史問題は市民活動家達によって牛耳られていくことになるのですーー。 

(つづく)
(インタビュー・赤石晋一郎)

<引用出典>勝山泰佑「海渡る恨」(韓国・汎友社、1995年)

赤石晋一郎 南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。「フライデー」記者を経て、06年から「週刊文春」記者。政治や事件、日韓関係、人物ルポなどの取材・執筆を行ってきた。19年1月よりジャーナリストとして独立

勝山泰佑(1944~2018)韓国遺族会や慰安婦の撮影に半生を費やす。記事内の写真の出典は『海渡る恨』(韓国・汎友社)。