挺対協(現・「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」)の不実について告発した元慰安婦李容洙(イ・ヨンス)氏の記者会見によって韓国社会は大揺れに揺れている。
はたして挺対協とはいかなる組織なのか。彼女らの実態をよく知る日本人がいる。
その女性の名前は臼杵敬子氏という。ライターとして女性問題に関心を深く持っていた臼杵氏は、半生を韓国太平洋戦争犠牲者遺族会を支援するための活動に費やした。90年代から議論が始まった日韓歴史問題を、最も間近で見つめてきた日本人の一人であるともいえよう。
本連載では臼杵氏から見た、なぜ慰安婦問題が歪んでしまったのか、その真実について回想してもらう。そして挺対協とはどのような組織だったのかを、当事者として批評してもらおうと考えている。(連載5回目/#1から続む/前回から読む)
「古くて新しい」挺対協のカネの問題
いま、挺対協やナヌムの家の不透明な会計が韓国メディアを騒がせています。しかしこうした疑惑は90年代から燻っていたのです。
1996年6月、元慰安婦16人が青瓦台(大統領府)直属の「民願室」(庶民の陳情を受ける部署)を訪ね、「慰安婦支援団体の募金の使途が不透明だ」と訴えたことがありました。
こうした状況からわかるように一部の元慰安婦たちの間では、早い段階から挺対協等への不信が芽生えていたのです。つまり慰安婦問題における金銭問題は、古くて新しい問題であったということなのです。
私は挺対協が元慰安婦を本当に支援しようと考えていたのか、疑問に思っています。例えばこのようなエピソードがあります。
遺族会(韓国太平洋戦争犠牲者遺族会)所属の元慰安婦に姜順愛(カン・スネ)さんという方がいます。彼女は南洋諸島・パラオの慰安所にいたハルモニでした。
姜順愛さんは日本兵に「舞子」という名前を付けられ、島々の各慰安所を回される形で働かされていました。
長く慰安所で働いた女性は、子供を産めない身体になってしまうケースが多くありました。6年あまりパラオにいた姜順愛も生涯子供を持つことが出来ませんでした。そのせいか子供のことが大好きで、来日した時も姜順愛さんは日本人の子供を見かけると愛おしい表情で可愛がっていたことを思い出します。
彼女はパラオ時代の経験について、こう語っていました。
「艦砲射撃が激しくなり戦況が悪くなる中で、パラオでは死ぬ思いをしました。ジャングルの中を逃げまどっていた私を、バッと背負ってくれて助けてくれたのが京都出身の金太郎という日本兵でした。兵隊にはいい兵隊と悪い兵隊がいた。韓国人にだって悪い奴もいれば、いい奴もいる。日本人全てが悪いわけではない。だから、戦後世代の若い人たちには戦争責任はないんだよ。」