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「臼杵さんに反省文を書いて欲しい」
1999年9月、私の入国禁止が解ける前のことです。韓国大使館の担当官はこう言いました。
「臼杵さんに反省文を書いて欲しい。入国禁止が解けても慰安婦問題にはもう携わらないでもらいたい」
挺対協がいかに韓国政府に大きな影響力を持っていたのかが担当官の言葉からもわかりました。
私は遺族会や元慰安婦に寄り添い、共に考えることで戦後補償問題の解決への途は見えてくると考えていました。しかし、そうした考え自体が挺対協にとっては目障りだったのでしょう。
私は反省文を書くことについては了解しましたが、慰安婦問題への要求については「私は裁判支援も行っているし、元慰安婦に会わない訳にはいかない。無理です」とお断りしました。
入国禁止措置により私が挺対協へ抱いていた「不信」は決定的なものとなりました。
(続き「フィリピンの慰安婦問題は解決したのに……元慰安婦支援30年の日本人が語る『韓国政府の妨害』」を読む)
(インタビュー・赤石晋一郎)
<引用出典>勝山泰佑「海渡る恨」(韓国・汎友社、1995年)
赤石晋一郎 南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。「フライデー」記者を経て、06年から「週刊文春」記者。政治や事件、日韓関係、人物ルポなどの取材・執筆を行ってきた。19年1月よりジャーナリストとして独立
勝山泰佑(1944~2018)韓国遺族会や慰安婦の撮影に半生を費やす。記事内の写真の出典は『海渡る恨』(韓国・汎友社)。