『パリの砂漠、東京の蜃気楼』(金原ひとみ 著)ホーム社

 作家の金原ひとみさんは2011年の東日本大震災に伴い発生した原発事故の翌年、二児を連れてフランス・パリに移住。6年の滞在を経て、一昨年、日本に帰国した。

「パリには移住前に一度、仕事で行ったことがありました。その時、文学に対する前提が共有されているような居心地のよさを感じたんです。これまで色々な国の文学イベントなどで取材を受けましたが、カルチャーショックを受けることが多かった。特にカトリックの影響が強い国では、人が死に向かうこと、性的なものに埋没していくことに対して、ネガティブなイメージを持たれているように感じました。フランスはその点でとても開放的で、小説はタブーに挑むものという感覚があった。あとは子供がいるので、医療や教育が整っている国がいいと考えると総合的に丁度よかった。実際に生活してみると、些末な問題で苦しむこともあったけれど、日本にいるときに感じた同調圧力や厳し過ぎるルールからは解放されていたと思います」

 初のエッセイ集『パリの砂漠、東京の蜃気楼』ではパリで暮らした最後の1年間、そして帰国してから最初の1年間が綴られている。

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「日本に一時帰国してフランスに戻り、シャルル・ド・ゴール空港から自宅にタクシーで向かう道すがら、ほっとするのではなく、なぜここにいるのだろうという思いが芽生えたんです。それは次第に増幅して、『もうここにはいられない』という直感から帰国を決意しました。最後の1年は鬱に襲われてボロボロでしたね。そういう状況下で他人の死に強く共鳴してしまうメンタリティに陥り、自分と切り離して考えられなかった。例えば、自宅近くの広場で飛び降り自殺があったと聞いた時、その話にずっと引きずられてしまって。心のどこかで、自分もそうなるのではないかという感覚を持っていたのだと思います。

 帰国後の1年は様々な変化に戸惑ったり苛立ったりしていたので、その2年間を書けたのは、記録としてもよかったです」

金原ひとみさん

 高圧的な日本の男性、ハラスメントや暴力が横行するバラエティ番組――。東京篇では〈生きているだけで四方八方から侵害されているような閉塞感〉から逃れるように、仕事とフェスに追われる日々が続く。

「日本に戻ってきてから、中年男性の高圧的な態度に驚きました。パリでホームレスらしき男性に娼婦呼ばわりされたこともあったけれど、日常の一端として捉えていた。むしろ日本で普通のおじさんに怒鳴りつけられた時のほうが動揺しました。それは身体感覚の違いだと思うんです。フランスでは、街ですれ違う人とは宗教も違えば、肌の色、人種も異なる。色々な人がいて当然という前提で、他人と自分を切り離して考えます。日本にいると隣人と溶け合うような感覚があり、あらゆることに予測が及ぶからこそ、生々しく感じられるのかもしれません」

 本書では、子供時代から感じ続ける生き辛さについても書かれている。

「これまで小説を読むこと、書くことでなんとか息継ぎをして、窒息せずに済んできました。それでも日常を生きる自分と小説を書く自分が乖離して、自分の中でぐちゃぐちゃになったものを終わらせてほしいと願う瞬間があります。

 夫と子供のいる家庭を持っても、海外に行っても、生まれ持った生き辛さは薄れませんでした。それはある種、自分は自分のまま変わらないということです。私にとっては大きな気づきでした」

かねはらひとみ/1983年、東京都生まれ。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞を受賞しデビュー。同作で芥川賞を受賞。10年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞、12年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、20年『アタラクシア』で渡辺淳一文学賞を受賞。

パリの砂漠、東京の蜃気楼

金原 ひとみ

ホーム社

2020年4月23日 発売