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「少年を縛りつける少女」の構図が逆転 150年経っても『若草物語』が古びない理由

2020/07/04
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 今回公開されたのは、なんと7回目となる『若草物語』実写映画化。こんなに何度もスクリーンに現れた四姉妹、いる!? と驚いてしまうが、サイレント映画時代からそれはもう繰り返しリメイクされてきた『若草物語』。ぶっちゃけ、ただ原作を美しい映像にするだけなら、世界中の『若草物語』ファンはお腹いっぱいだ。

 が、今年公開された『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』は、原作ファンにもおおむね高い評価を受けている。たとえばジョーの出版エピソードに作者オルコットの逸話を加えたり、過去と現在を対比させるような時系列で物語が進んだりと、監督がアレンジを加えて2020年バージョンの『若草物語』を作ることに成功している。事実、すでに「現代風アレンジ」への賞賛はたくさんSNS上に書き込まれている。

 しかし、『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』が今の観客の心をつかむ理由は、監督の翻案が上手だったから、だけではない。

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 私は逆に、今回の映画を見ることで、原作の「新しさ」に注目することとなったのだ。

原作の新しさは「働くことを夢見る少女」を描いたことだけではない

『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』は、原作の『続 若草物語』のエピソードである、ジョーとローリーの関係性の変化、そしてそこから生まれるジョーの寂しさをひとつの山場として描いている。

 ジョーは作家志望の少女で、それゆえ物語が進むにつれ、作家として生きる道を模索し始める。1868年という原作刊行時期から考えると、かなり先進的な「一生働くことを夢見る少女」だった。

映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』より

 一方で、ジョーは「自分は生涯結婚しない」と述べる。だれにも縛られたくなんかないし、自由でいたいのだ、と。結婚する姉のメグに対して「どうして結婚なんてするの? もっと自由に才能を羽ばたかせましょうよ」と説得するシーンまである。

 そのような思想を持つジョーは、幼馴染の少年ローリーを、どうしても恋愛相手として受け入れることができない。

 これは原作にもあるエピソードで、並み居る読者の少女たちを「えっ、ジョーってローリーとくっつくんじゃないのか」と面食らわせていた(みんながみんなそう読んでいたわけではないかもしれないが、少なくとも私はローリーをジョーの恋の相手だと思い込んでいた。だって二人、すごく気が合ってるんだもの)。今回の映画では、ローリーを完璧な美少年のティモシー・シャラメが演じるもんだから、余計に「えっ、この美少年の告白を断る……!?」と驚きの目で見てしまう(少なくとも私は驚きの目で見た)。

 ちなみに『若草物語』の作者オルコットのもとには、「ローリーはなんでジョーとくっつかないんですか!?」という抗議の手紙がやたら届いたらしい。無理もない。

 しかしジョーは、どうしても無理なのだ、と叫ぶ。私はローリーを恋愛相手としてみることはできないし、生涯結婚もしたくない、たとえ相手がローリーだろうと自由を奪われたくはないんだ、と。