小さな盤上にあるたった二人だけの世界
岡目八目とでもいうのだろうか。囲碁から出た言葉だが、当事者同士よりも第三者のほうが情勢を正しく判断できるという四字熟語だ。では二人が見ていた局面は、一体どんな景色だったのだろうか? どんな思惑に心躍らせ、緊張し、脳漿の深海へと潜り思考に沈んでいたのだろうか……。81マスの小さな盤上には、他の誰にも観測できないたった二人だけの世界があったのだ。
外はもう真っ暗だった。初夏の美しい景色が夜の色に溶け、星も月も雄大な海も我々の前から姿をくらませていた。
窓ガラスには、激戦を終え疲れ果てた対局者たちの姿が映し出されていた。
エピローグ
この日、もっとも労いたい人といえば記録係の熊谷俊紀二段だろう。2人の対局を長時間正座で黙って見届け、まさに目の前で繰り広げられる最高峰の戦いに空間と共に浸り、我々に最新の棋譜を届けてくれるのが彼の役割だ。
ちなみに、記録係は対局中に棋士を置いてトイレに立ったり、まして眠ることは許されない。その緊張から食事や水分が取れない人も多いと聞くのだが「いや、一周回って食べたほうがいいのかなって……」とニコニコ答えた。肝が据わっている。そんな彼が終局後、今井荘から関係者へご厚意で出された夜食を食べながら、「ッッあぁ~……」と大きくため息を吐いて緊張から解放された姿を見ると、なんとも言い難く応援したい気持ちがわいてくる。本当にお疲れさまでした。
今回、対局前後の食事会や打ち上げは情勢を考慮して行われなかったため、対局者の二人と接する機会はほとんどなかった。しかし、翌朝帰りの電車を待つ少しの時間だが話を聞くことができた。
豊島竜王・名人の元気を保つ秘訣
まずは勝った豊島竜王・名人に、さっそく「なぜうな丼を注文されたのですか?」と尋ねると、マスクをしていてもわかる困った顔で、「まあ、食べたかったので……」と答えてくれた。将棋めしの取材をすると、この回答が定番だ。慣れている。ただ、サラダの追加注文について聞いてみると、「サラダは食べておこうかなって……健康に気を付けてるので」との回答だった。
挑戦と防衛を同時に行う多忙極める豊島竜王・名人について、関係者は「思ったより元気そうでしたよ」と驚いていた。このハードスケジュールの中、元気を保つ秘訣は「睡眠とストレッチ等で体を動かしたりして……体に気をつけています」という。「だからサラダも食べました」とちょっと照れたような顔で笑っていた。
将棋ミニ会席については「休みたかったので、ちょっとずつ食べました。30分では食べきれないですね……」と、その時の疲労を思い出したのか、ちょっとがっくりした様子で答えてくれた。
盤側のおやつについては天童から連れて来たものだと推察していたが、実際どうだったのか聞いてみると「持ってきたものもあるけど、補給食は事前に自宅から今井荘へ送っていました」という。さすが研究だけでなく準備にも隙がないようだ。