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30代半ばまで銀座のバーテンだった

「別に、俺、有名なところは渡り歩いてないですよ。いろんなものを食べ歩きはしましたけどね。調理師学校にも行ってないです。調理師免許は本で勉強して、一発試験で受けて取ったんです。調理師免許試験用のマニュアルみたいな本があるから、それをちゃんと読んでれば誰でも取れますよ。ただ、取るために1年か2年ぐらいどこかに勤めて修業しましたという証明をもらわなければならないから、知ってるやつのところを手伝って証明書を書かしただけ」

 だとすれば、もともとは別の仕事をされていたのだろうか?

 
 

「俺はバーテンです。バーテンの世界のほうが厳しかったですね。日本で最初にホテルのバーをつくったのは横浜のホテルニューグランドだと思うんですけど、そこの系列だから、ものすごく厳しかったです。店があったのは銀座の8丁目でね。それが30代の半ばぐらい。俺は1948年生まれだから今年で72なんですけど、この店を出したときが30年前で、40歳ぐらいのときですから。それぐらいまでは銀座で、一番楽しい時代をずっと過ごしてましたから」

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 でも、どうしてバーテンから中華の世界に移ったのだろう?

「まあ、女で失敗したっていう。まわりに女性ばっかりじゃない。浮かれてさ、女性ばっか追っかけてましたから、だからダメになっちゃった。もう最低の男でしたよ、俺なんか、逆に(笑)」

朝は7時前から仕込みを始める

「それがどうして中華につながるんですか?」

「知り合いが八重洲で店をやってたから、さっき言ったように手伝いしたり。なりゆきですよ、ただ。基本的に俺はなりゆきでずっと生きてきてるようなところがあるから、あんまり深く考えてないんですよね。手伝ったりしてたら、『ああ、意外と安い資本でできるよね』とかって思って。だから、若い人によく言うんだけど、『俺は努力しないよ』って。壁にぶつかったら、なんとか横から逃げていけって。なんでわざわざ壁登って、前へ進まなきゃなんねえんだって。いくらでも楽な道はあるだろっていうの」

 この店の営業時間は、11:30~13:30と17:30~21:00。昼は2時間しか開けないことになるのだが、それにも理由があるらしい。

 

「こういう商売って、仕込みと片づけがなかったら楽だもん。仕込みと片づけがあるから時間帯が長くなっちゃうんで、だから仕事で縛っとかなきゃダメな人間にはちょうどいい。俺みたいのがね。でも、だいたいいつも店には朝の6時45分から50分に入ってる」

 つまり、基本的には真面目なのだ。だが人に指図はされたくないようで、だからこの店はずっと1人で切り盛りしている。地元もこのあたりで、住まいは押上。店の周辺は、だいぶ様変わりしたという。