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元SMAP草彅剛、稲垣吾郎、内田有紀、広末涼子…「アイドルはなぜ“つかこうへい”で演技に目覚めるのか」

劇作家つかこうへい没後10年

2020/07/10

genre : エンタメ, 芸能

 2010年7月10日に劇作家・演出家のつかこうへいが亡くなって、きょうでちょうど10年が経つ。命日であるきょうから3日間は、つかの代表作のひとつ『蒲田行進曲完結編 銀ちゃんが逝く』の朗読が東京・紀伊國屋ホールで開催される(今夜の公演はネットでも有料生配信を予定)。主人公・銀四郎には味方良介が扮し、ヒロインの小夏を乃木坂46の元メンバー・井上小百合が演じる。本作の演出を務める岡村俊一は、これまでにもつかの芝居を何作も手がけており、今回の井上のようにアイドル出身者の起用も珍しくない。だが、それはつか自身が積極的に行なってきたことであった。そのなかから演技に開眼した者も数多い。

10年前、2010年7月10日に亡くなった劇作家・演出家のつかこうへい ©文藝春秋

 1960年代末より演劇活動を始めたつかは、1974年1月には『熱海殺人事件』で25歳にして岸田國士戯曲賞を受賞し、一躍脚光を浴びる。その後、劇団「つかこうへい事務所」を旗揚げして、自作を上演していく。稽古では台本は使わず、つかの口から直接役者にセリフを伝えていく「口立て」という手法がとられた。役者とのやりとりのなかでセリフもどんどん変わっていった。ここから風間杜夫・平田満・三浦洋一・根岸季衣などといった俳優が育っていく。つかは初期より「役者たちがメシを食えるようにする」ことを目指し、テレビ局のプロデューサーに頭を下げて回ったり、マネジメント事務所を見つけてきたりと熱心に売り込みを行なっていたという(※1)。

牧瀬里穂・石田ひかり・内田有紀・広末涼子……

 つかは1982年1月、小説『蒲田行進曲』で直木賞を受賞。同年秋にはその舞台版の公演をもって「つかこうへい事務所」を解散した。その後は、1985年と1987年に韓国で現地の俳優を起用して『熱海殺人事件』を上演した以外はしばらく演劇活動を休止する。活動を再開したのは1989年、女優の岸田今日子が実名で主演した『今日子』を作・演出したときだった。これ以降、彼は出演者を芸能界から積極的に起用していく。たとえば、70年安保闘争をモチーフにした初期作品『初級革命講座・飛龍伝』(1973年初演)は、1990年に富田靖子主演により『飛龍伝』という題名で内容も大幅に改変して再演され、以後、牧瀬里穂・石田ひかり・内田有紀・広末涼子と、その時々の若手女優が主演を務めてきた。このうち1994年に主演を務めた石田ひかりは後年、《つかさんは役者の一番輝く部分をうまく引き出してくれる、本当にすごい人でした。役者というのは自信がないと、ついつい上辺(うわべ)を繕(つくろ)ってごまかそうとするのですが、つかさんは余分なものを、稽古でどんどんそぎ落としていく。それにつれて役者も自分に自信を持ち、胸を張って舞台に立つようになるんです》と、つかの演出の魅力を語っている(※2)。

『蒲田行進曲』(つか こうへい 著)