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日焼けしていることを怒られた内田有紀

 稲垣や草彅の舞台出演と前後して、1994年には東京都北区のバックアップにより「北区つかこうへい劇団」が旗揚げする。『蒲田行進曲』で草彅と共演した小西真奈美は、同劇団からヒロインに抜擢された。2000年にはここへ自ら志願して内田有紀が入団する。その前に劇団の舞台稽古を見学する機会を得た彼女は、足を踏み入れた途端、心をわしづかみにされ、「なぜ私はこのなかにいないの?」といても立ってもいられなくなったという(※6)。実際に入ってみると、つかの指導はやはり厳しく、舞台が休演中に遊びに行った翌日、稽古に出たところ、肌が日に焼けているのを咎められたこともあった。このとき、「それじゃ、照明が映えないじゃないか!」「おまえは自分の立場を忘れて、私利私欲だけで行動している」などとものすごい剣幕で怒られたが、つかはその後は引きずることなく稽古に入ったという。内田はつかの没後、《精一杯の愛情で支えてくれるから、つかさんのためにがんばろうと思える。人として、周りに迷惑をかけないこと、そして女優としての自覚を持って舞台に臨むことを、愛情を持って教えてくれました》と偲んだ(※2)。

内田有紀

 内田は『蒲田行進曲完結編 銀ちゃんが逝く』(2000年)、前出の『新・飛龍伝』(2001年)などに出演した。北区つかこうへい劇団にはこのあと2003年には、当時まだ中学生だった黒木メイサも所属事務所の社長に勧められて入団している。黒木は翌2004年、『熱海殺人事件 平壌から来た女刑事』の新人公演で初舞台を踏んだ。

「こういうのはいやです」バトルになった石原さとみ

 2003年には「つかこうへいダブルス」と題して、東京・青山劇場にて『幕末純情伝』と『飛龍伝』が、それぞれ杉田成道とつかの演出によって上演された。このとき筧利夫とともに主演したのが広末涼子である。稽古でのつかの印象を広末は《役者に考える余裕を与えない。たたみかけるスピーディな演出で、いつの間にか役者をその気にさせてしまう、不思議な魅力をもった方だなあ、と思いました》と語っている(※7)。

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広末涼子 ©文藝春秋

 若手女優でおそらく最後につかから直接指導を受けたのが石原さとみだろう。2008年の『幕末純情伝』の再演で主人公の沖田総司役に抜擢された石原は、相手役の坂本龍馬を元宝塚歌劇の真琴つばさが演じたこともあいまって話題を呼ぶ。じつはこの前に、石原は別の芝居でけがを繰り返し、舞台に抵抗を感じてしまっていた。そこへつかに声をかけられて初めて会ったとき、「こういうのはいやです」とはっきり言ってしまい、バトルになったという(※8)。だが、結果的に彼女はつかのおかげで舞台の楽しさを知った。後年のある対談では、つかには《シゴかれるという言葉が正しいかどうかわからないですけど、ものすごく愛されました》と語っている。同じ対談では、電話で「2年後にやる石原君の芝居を、いま考えてるんだよ」と言われたことなど、つかからもらった言葉はいまだに忘れられないとも明かした(※8)。

石原さとみ ©文藝春秋