きょう7月14日はフリーアナウンサーの久米宏の76歳の誕生日
「就職はどうなの?」TBSを受けた理由
『ラジオなんですけど』という番組タイトルは、久米が考えたという。18年半にわたってテレビの人気報道番組でキャスターを務め、すっかり“テレビの人”になっていた彼が、今度はラジオでささやかながら番組を始めたといった意味合いでつけたのだろう。ただし、久米のキャリアからすると、ラジオがテレビに先行する。
久米が早大卒業後、TBSに入社したのは1967年と、ちょうどラジオの深夜放送がブームになり始めたころだ。TBSで『パックインミュージック』、ニッポン放送で『オールナイトニッポン』と、のちに若者から支持を集める番組があいついでスタートしたのがまさにこの年だった。後年、彼は当時を振り返り、《深夜放送がブームになり、これまでのように高校では放送部、大学では放送研究会に入るような人間ではなく、ちょっと風変わりなヤツを放送局が求めていた、ということでしょう》と語っている(※1)。大学では演劇に熱中し、TBSを受けたのは、母親から「就職はどうなの?」と心配され、アリバイづくりのために仕方なくだったという。