私と梁氏は言い争いになりました。
――名簿をタダであげたの?
梁氏「名簿を出さないと懲罰があると聞いたのよ」
――どうして真相糾明委員会に対して人事権や発言権を求めなかったのよ!
梁氏「法律で決められているというから……」
この時はまだ遺族会も楽観的でした。
真相糾明委員会の登場により、戦後補償問題は完全に市民活動家たちが支配するようになりました。彼らは韓国政府から給与を貰いながら活動し、日本政府との交渉権も一手に握るようになったのです。遺族会は完全に蚊帳の外に置かれてしまい、戦後補償問題は真相糾明委員会に乗っ取られ、利権化していきます。
手弁当や募金で運営されていた遺族会は発言権を失ったことで弱体化の道を辿ります。1万6千人の会員を誇り、全国に16支部を持っていた遺族会は、存在感を失ったことにより分裂、縮小していくことになってしまうのです。
「我々がやる」真相糾明委員会による横槍
真相糾明委員会自体も不誠実な組織でした。
外務省に梅田邦夫氏(2020年に退官)という外交官がいました。始めてお会いしたのは1990年代で、当時の梅田氏は外務省アジア局地域政策課長として日韓歴史問題に取組んでおられました。とても情に厚い方で、アジア女性基金設立や遺族会支援にも尽力してくれました。
一度、梅田氏から元慰安婦に会いたいと言われました。私は金田きみ子氏を引き合わせました。梅田氏は金田氏の体験談を、涙を流しながら聞かれていました。
私は軍人軍属の遺族方が戦後60年経っても未だに戦地慰霊に行ったことがないと聞き何とかしないといけないと考え訴えていました。日本の遺族は戦後間もなく戦地慰霊を行っている。一方、韓国から徴兵され、日本軍の兵士として戦死した人々には何もない。日本政府が何かすべきだ、と私は思いました。そこで改めて2006年ごろ梅田氏に相談しました。
「これは日韓基本条約とは別の問題です。戦地慰霊は人道的な問題だと思います。日本政府の方で何とかならないでしょうか?」
梅田氏は「何とかしてみる」と答えてくれました。紆余曲折はありましたが、政府予算から慰霊事業に対して約2000万円が拠出されることが決まったと聞き嬉しくなりました。
ここで問題となったのが真相糾明委員会でした。彼らが「我々がやる」と横槍を入れてきて、慰霊事業は日韓共同事業の形で行われることになったのです。