同じことは挺対協の資料館やナヌムの家の歴史館にも言えます。いずれも元慰安婦の言葉を尊重して作られたというより、市民活動家たちが自分たちのイメージで展示を作り、プロパガンダしているだけなのです。
挺対協は未だに少女像を増やすと公言し、新しい箱モノも作り続けようとしています。
元慰安婦を利用している。
当事者の意向を無視して刻まれた名前
その最たる例が、ソウル市南山公園にある「慰安婦の碑」です。故朴元淳ソウル市長が土地を提供し、挺対協によって建立された慰安婦の碑には、247名の元慰安婦の実名が刻まれています。この実名は元慰安婦や遺族たちの許可を取らずに、勝手に刻まれた名前なのです。
元慰安婦の中には「私たちは歴史になりたくない! 忌々しい記憶をいつまでも残したくない。死んでパッと消えてしまいたい」と語る人もいます。この言葉からわかるように元慰安婦には自らの過去を隠したいと思っている人もたくさんいます。それなのに挺対協は慰安婦の碑を勝手に建立した。つまり挺対協にとって元慰安婦は利用対象でしかなく、彼女らの人権については一切考えていないのです。
しかも、挺対協にとって気に入らない元慰安婦である金田きみ子氏や、のちに挺対協を提訴した沈美子氏も名前は外されている。いかに恣意的に元慰安婦を利用しようとしてるのかが、わかります。
私たちは被害者から学ばないといけません。正しい歴史を知り、後世に伝えて行く必要があります。
元慰安婦には様々な物語があります。その一つ一つを調査、検証していくべきだとは前回お話ししました。
元慰安婦の言葉には、韓国人だけではなく、日本人だって戦争の被害者だったと実感するエピソードも多くありました。日本兵の恋人がいた元慰安婦もいます。招集され連れてこられた日本兵が戦場で負傷し、ベッドの上で苦しみながら母親の名前を叫び、死んでいったとハルモニから聞かされたこともあります。どんな戦争にも正義はなく、ただ殺戮が繰り返されます。苦しむのは“民”なのです。
こうした真実やリアリティが挺対協や市民活動家が語る言葉にはない。
挺対協が後世に残そうとしているものは、歪曲された慰安婦の浅薄な物語であり、反日を目的とした慰安婦イメージだけだと私は感じていますーー。
(最終回「慰安婦問題、利権化した原因は……30年間関わった日本人が語る『市民団体の“両班意識”』」へ続く)
(インタビュー・赤石晋一郎)
<引用出典>勝山泰佑「海渡る恨」(韓国・汎友社、1995年)
赤石晋一郎 南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。「フライデー」記者を経て、06年から「週刊文春」記者。政治や事件、日韓関係、人物ルポなどの取材・執筆を行ってきた。19年1月よりジャーナリストとして独立
勝山泰佑(1944~2018)韓国遺族会や元慰安婦の撮影に半生を費やす。記事内の写真の出典は『海渡る恨』(韓国・汎友社)。