長く慰安婦だった女性ほど、女性としての機能を失っていた
彼女と出会ったのは東京裁判を始めた後の92年2月ごろでした。以前の連載でも語ったように、金学順さんが語る慰安婦イメージを私たちは覆したいと考えていました。金学順さんは慰安婦期間が三か月と短く、キーセン出身ということで誤解される部分も多かった。
そこで新しい原告探しのために調査を行いました。韓国で新しく名乗り出た元慰安婦20名あまりの中にいたのが金田氏でした。彼女は7年間も慰安所にいて、証言には深いリアリティがあり、原告には最適な女性でした。金田氏はいつも寂しそうな表情をしている、笑顔をまったく見せない女性でした。
ある時、金田氏の自宅に泊まったことがあります。彼女は6畳1間で老犬と一緒に生活していました。老犬はカプトリと名付けられていました。カプトリとは韓国では有名な昔話の主人公の名前で、この昔話は悲恋の物語でした。
仕事は「派出婦」をされていた。つまり、日雇いの家政婦の仕事です。
家の中での金田氏は、いつも老犬に話しかけていました。寝るときも一緒に寝ています。彼女にとって老犬は旦那であり、子供であり、友なのです。
長く慰安婦とされていた女性ほど、女性としての機能を失っていました。生理が無くなり、子供が産めず、性病にかかり、子宮摘出を余儀なくされた人も多くいました。金田氏も病院で「梅毒の後遺症がある」と診断されていました。 梅毒に死ぬまで苦しむ元慰安婦も少なくなかった。
挺対協は「1回でも1000回でもレイプは同じだ」とよく主張します。だから元慰安婦には期間の長短に関わらず一律に補償をしろ、という議論になっていく。
でも、先ほど述べたように慰安婦の期間が長いほど身体への被害は大きいのです。人によって確実に実情が違う。こうした言論を見るだけでも、挺対協がいかにいい加減に慰安婦問題に取組んでいるか、実態調査を疎かにしているかがわかります。
夜就寝していると、横で寝ている金田氏が酷くうなされていました。
私が「どうしたの?」と聞くと、金田氏は汗をビッショリかいていた。
「慰安婦時代の夢を見ていた。怖い兵隊がいて……」
痛みの記憶は何十年経っても消えていないのです。
翌日、「また会いましょう」と別れました。仕事を終えて夕方、ホテルに戻るとロビーに金田氏がいるのです。私が「どうしたの?」と聞くと、こう言いました。
「お土産を渡すのを忘れたから」
彼女はわざわざ遠出してホテルまで来てずっと私を待っていたのです。その日から金田さんは「ウスキ、ウスキ」と私を慕ってくれるようになりました。
活動家が醸し出す“両班(ヤンバン)意識”
元慰安婦たちは、戦中に苦痛を味わっただけではなく、戦後も差別されたり、赤貧のなか孤独な生活を余儀なくされた方が多くいました。そうした実情を知るにつれ、私はそんな彼女たちに少しでも寄り添ってあげられたらと思うようになりました。
挺対協の傲慢な言動を見るにつけ、私は彼女たちには拭い難い“両班(ヤンバン)意識”があるのではないかと思うようになりました。