『心を病んだらいけないの?』というタイトルをそのままに解釈すれば、『心を病んでもいいんです』という気づきが人を楽にするとか、その境地に到るためのメソッド本と誤解されそうだが、決してそんな単純な一冊ではない。
本書の骨は、現代が多くの者が心を病んでも仕方がない状況にあること(あり続けてきたこと)を前提に、なぜその状況に至ったのか、回避できなかったのかを対話の中で読み解くことだ。語り手は精神科医の斎藤環氏と歴史学者で双極性障害サバイバーでもある與那覇潤氏。主に平成前後の三十余年の間、生まれては消え、形を変えていまもあり続けている様々な「〇〇イズム」や尖った言説の批評を軸に、現代人の心や価値観の「解脱と解毒」を促す一冊になっている。
その軸が実に多様で立体的なのが、本書の比類なき点だろう。例えばメンタルヘルス界隈では、平成初期の在野の心理ブーム、母原病、AC(アダルトチルドレン)から毒親言説などを経て現在の発達障害ブームに至る流れの中に、生きづらさ=甘えといったバックラッシュとしてのネット右翼や家父長制度の再台頭を絡めて立体視する。その他、オンラインサロンやユーチューバーの勃興の背後にある承認格差社会、発達障害バブルが掘り出したコミュ力至上主義、身体性を無視したAI万能主義の空疎、総ハラスメント社会に、働き方改革を蝕むキラキラ主義などなど。
本書によれば平成は「ループもの」のアニメのごとく繰り返し似た言説や運動が起きた時代。進化しているように見えて問題を乗り越えられず繰り返す様を、その歴史的背景や言説の推移を絡めて語れるのは、歴史学者×精神科医というふたりならではだろう。
論はどこまでも展開するが、際立つのはそれぞれ堅いテーマにも関わらず対話を重ねていく斎藤氏と與那覇氏の語り口がめっぽう愉快なことだ。
與那覇氏は言説を歴史の軸から解釈するベクトルが強いが、想像以上に言葉がラジカルでエモーショナル。一方の斎藤氏はその見識が精神科医という職域を大きく超えて社会学やサブカルチャーにまで広がり、守備範囲に欠けたところがない。そんなふたりが、ときに互いを諭すようでいて、実はノリノリで論を展開していくのが小気味よい。
一貫して語られるのは、人の苦しさは「個人」に根ざすものではなく、周囲の社会との関係性にこそ大きく因果関係があるという視座。そしてその「社会関係資源」を作り上げていく際のキーワードとなるのが、フラットな関係性における対話によって「同意なき共感」を形成すること。さらにその形成に障壁となっているのが、未だなされぬ「脱昭和(人間主義)」や「コミュ力偏重社会」にあるとする見事なまとめには、この国の万人に通る説得力を感じた。
さいとうたまき/1961年、岩手県生まれ。精神科医。著書に『世界が土曜の夜の夢なら』『オープンダイアローグとは何か』など。
よなはじゅん/1979年、神奈川県生まれ。歴史学者。著書に『知性は死なない』など。
すずきだいすけ/1973年、千葉県生まれ。文筆業。著書に『里奈の物語』『「脳コワさん」支援ガイド』など。