一人娘も美々卯でアルバイト

 以来、彼は家族との食事では、渋谷マークシティ店を頻繁に利用するようになった。

「渋谷の店では昔、娘(現・天龍プロジェクト代表の嶋田紋奈氏)も働いてたんですよ。例の店長が、当時俺の経営してた寿司屋によく来てくれてね、ある時『ホールの人手が足りない』って嘆いてたから、女房がうちでアルバイトをしてた高校時代の娘を指して、『紋奈行けるわよ』って勝手に決めちゃった」

 

 横で話を聞いていた“代表”が、ここで口を開く。

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「いざ働き始めると、ホール担当でも厨房の様子がよくわかるんですよ。うどんすきの命である出汁の味が営業中のどの時間帯でも同じになるよう、職人さんたちが1時間に何度も味見するのはもちろん、店長もチェックするし、東京美々卯の本部の人も定期的に視察に来て、ぶれがないか確認するんです。そんなお店の姿勢を『あれはすごい』って両親に伝えると、一人娘の働きぶりが気になることもあってか、父もますますよく通ってくるようになりましたね」

美々卯のうどんすき(写真提供:美々卯)

 彼女は、東京美々卯の社風も好きだったという。

「地方から出てきて働いている人が多いから、寂しい思いをさせないようにってことなんでしょう、当時新橋にあった支店で、本部の重役からフロア担当までが一緒に参加するお誕生会を毎月やってたんです。昔から東京美々卯にいる幹部クラスは大阪から移ってきた人たちなので、みんな気さくな関西人って感じでね。組織としてもみんな家族っていうか、とってもチームワークのいい会社でした」

大会の記者発表も美々卯で

 一方、私人・嶋田源一郎ではなく、プロレスラー・天龍源一郎としては、京橋店をイベントなどの会場に使った。系列の中で最も大箱だっただけでなく、そこには天龍氏なりの心遣いもあった。

「ファンミーティングとかよくやったね。プロレス好きって若い子が多いから、あんまりうどんすきってものに縁がないでしょ。特に関東だとさ。だからせっかく集まってくれた機会に、あの味を楽しんでもらいたくて。ファンはみんな珍しがって、おいしいおいしいって食べてくれましたよ。後日、『またあそこでミーティングやりましょう』ってリクエストしてくる人もいたぐらい」

 自身の天龍プロジェクトが主催する大会の記者発表を、京橋店の大座敷で行ったこともあった。

「主な出場選手が並んで、場所と会場、対戦カードはこうですって発表した後は、記者も交えた懇談会に様変わり。当日は観覧を希望するファンの人たちも呼んでたから、俺や選手が各席を回って、飲んでしゃべって、写真撮影にも応じて。食事とお酒つきの会見なんてまずないから、みんな閉店の時間までわいわいやってましたよ。そんなイベントにも、東京美々卯の人は無理を聞き入れて快くお店を貸してくれただけじゃなく、頻繁に顔を出してくれたもんです」