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 同じ紙面には、作家の久米正雄が調停に乗り出そうとしたが、婦人公論側の提訴で断念。同じ作家の山本有三とともに声明を出したことが各紙に載っている。そこでは菊池の暴力の直接の原因は「菊池氏が送った抗議文を勝手に改竄し、作家の著作権、人格権を侵害し、さらにこれを商策に用いた奸計に対しての憤懣(ふんまん)から」(東日)とし、その後の経過についても中央公論側に非があるとして、菊池の側に近い立場を表明した。文芸家協会も8月27日、著作権擁護の決議をし、28日には嶋中社長に面会して福山編集主任の陳謝などを求めた。この間、菊池は27日、正式に提訴。対立は泥沼化すると思われた。

菊池寛はなぜ激怒したのか

 ところが、8月29日付朝刊各紙は事態の収拾を伝えた。「中央公論社対菊池寛氏の問題は、検事局でも調停の腹を決めていたが、事件の遠因をつくった『女給』の作者・広津和郎氏が調停に立って奔走の結果、28日午後6時、中央公論社側と菊池氏が広津氏を介して正式に互いに遺憾の意を表して解決し、29日午前中に双方とも告訴を取り下げることになった」(東日)。最悪の事態は避けられたが、こうした騒ぎも関心を集めたのだろう。9月21日付東朝夕刊の婦人公論10月号の広告には「再版出来 工場の全能力を尽くした大増刷の初版は、果然発売数日を出でずして売り切れた」とあり、「女給」については「モデル問題で作者広津氏は『菊池寛氏に答ふ(う)』を併載した」と書かれている。

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 その「菊池寛氏に答ふ」は「新聞広告は菊池君に対してあくどすぎた」が「あの新聞広告ぐらい屁(へ)とも思っていまいと軽くみていた」「最後まで読んでくれれば分かるが、僕はあの小説の作者として、別段菊池君を悪意には取り扱っていない」と強調。「(小説の)女主人公自身、君に非常に感謝している。僕はあの小説にその通り書いている」「結局、この『女給』は、君を書くことが主でも何でもない。この女主人公の過去の苦しみを書くのが主である。一見ヴアンプ(妖婦)型にしか見えないこの女主人公の口から語られた過去の彼女の苦しみが僕を感動させたのだ」と弁明している。こうして、菊池寛対婦人公論の紛争は一件落着した。しかし、こう振り返っても疑問が残るのは、菊池寛はなぜそれほど怒ったのだろうかという点だ。それを探るためにも、“舞台”となった当時のカフェと女給、そして作家と出版界がどんなものであったかを見なければならない。