約80年前の日本・兵庫県で起こった「チフス菌饅頭事件」。女医・広瀬菊子が「夫」に裏切られたことを理由に及んだ犯行に世論からは同情の声が集まった。1939年10月5日から3日間、神戸地裁で行われた一審公判にて、裁判官から菊子への尋問は女医としての経歴と被害男性との関わりへ――。<大金を貢いだ年下夫に裏切られ……絶望の女医が1年で実行した恐ろしすぎる復讐劇「チフス菌饅頭事件」とは より続く>

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一度は結婚を断った夫との慎ましい結婚生活

裁判長 佐藤と最初に知り合ったのはいつか?

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菊子 昭和4年7月です。(神戸)市民病院に勤務当時、京大医学部学生として見学に来た時に知り合いになりました。その後文通を始め、それから1年後の昭和5年8月に再び佐藤が学生として見学に来まして、この時相当親しくなりました

裁判長 佐藤から結婚の申し込みのあったのはいつか?

菊子 昭和5年8月22日ですが、その際は断りました。それは相手が学生であり、1つ下であったからですが、なお性格の相違という点もありました

裁判長 佐藤の性格はどういうふうであったか?

菊子 一見したところ、おとなしい人と見えましたが、陰気な性質のように見受けられました。(結婚を)一度拒絶しましたが、佐藤から手紙がきて、佐藤の両親が結婚を承諾したことを通知してきました。で、9月中旬、佐藤が訪ねてきて、いろいろ身の上のことを初めて話し合いました

事件当時の広瀬菊子(「婦人倶楽部」1939年12月号より)

裁判長 結婚式はいつ挙げたか?

菊子 佐藤が京大医学部を卒業した年、昭和6年4月10日、神戸湊区千鳥町2丁目の佐藤が新しく借りた家で式を挙げました

裁判長 当時はどういう生活であったのか?

菊子 佐藤は千鳥町の家から学校の研究室へ通おうとせず、京都で下宿し、私は(神戸市平野)神田町で自炊という、寂しく短い新婚生活でした

学費だけで約867万円……自分の生活を削って“貢いだ”

裁判長 結婚後どれだけ学費を送っていたのか?

菊子 最初の1年間は毎月60円平均、後は70円平均になり、高知で開業している私の細腕では精いっぱいのところでした。4月10日に結婚し、5月10日には既に高知で開業という、あわただしさ。当時世間は不況で本当に苦しい生活でした

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 昭和6(1931)年の60円は2017年の貨幣価値に換算すると約13万円、70円は同約15万円。かなり高額といえそうだ。

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裁判長 どんな苦労をしたか?

菊子 車の通らない山道をいくたび走り回ったことか。東西3里(約12キロ)南北4里(約16キロ)の山道を私は夢中で往診に回りました。いま当時のことを考えてみますと、よくもあんなことができたものかと夢のように思います。しかし、当時はあまりつらいとは思いませんでした。夜中でも自転車でいくたび山道を走ったことか。ある時は薬局の見習い小使いに給金を待ってもらい、50銭の小遣いも満足に使いませんでした

裁判長 佐藤が学位を得たのはいつか?

菊子 昭和11年5月、医学博士の学位を得ました。その通知が私の方へ届いたので、私は大喜びで京都へ駆けつけました

裁判長 佐藤へ貢いだ学費は全部でいくらぐらいになるか? 学費として3420円、衣類その他で565円、合計して5年間で3985円、約4000円に間違いはないか?

菊子 間違いありません

 同様に約4000円は約867万円。まさに自分の生活を削って“貢いだ”生活だった。