文春オンライン

連載昭和事件史

2020/07/05

「学位を獲得してから徐々に彼の態度が冷たくなっていった」

裁判長 京都で佐藤はどういう態度をとったか? 同棲を拒んだのか? その時、300円を佐藤に手渡したそうだが

菊子 300円(2017年換算約60万円)は学位取得の印刷費、恩師への謝礼のため、佐藤が要求したので持って行きました。私は同棲を強要した覚えはなく、将来の方針を立ててくださいと頼みました

裁判長 その際、佐藤が訪問を喜ばない態度をとらなかったか? そちらの下駄を隠したり、佐藤宛に女性から手紙が来ていたことを知ったそうだが

菊子 他の女性と文通や交際をしていることは、その時までに知っていましたが、大して気に留めませんでした。しかし、独身を装い、私の下駄を隠したり、他の女と写真を撮ったりしている佐藤の姿を見ると、不愉快に思いました

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「佐藤が学位を獲得してから徐々に彼の態度が冷たくなっていった経緯を述べ、菊子が雨の降る日、神戸の菊水旅館の付近で、佐藤から『貢いでくれた金は倍にして返すから』と思いがけぬ絶望的な言葉を聞かされ、『絶望のあまり、その場に泣き伏しました』と語り……」と記事にはある。その後、実兄が「せめて1日、3日でも5日でも家へ入れてくれ、悪いところがあれば私が引き取ります」と懇願して(この時、傍聴席からはすすり泣きが聞こえたという)、ようやく菊子は神戸市・垂水の佐藤家に入った。しかし……。

◆◆◆

散々貢がせた挙句に「自分は博士になりたくはなかった」

裁判長 同居してその後どんなふうだったか?

菊子 第一、私が荷物を解こうとしたところ、あなたはいつ帰らねばならなくなるかも分からないから解かない方がいいと言い、また幹男さんは私に、なるべく2階の方におるよう言いました。6月、7月と暑くなるのでしたが、カーテン、すだれで閉め切り、下駄が脱いであるとそれを隠し、洗濯物もまた洗濯屋に出さずに、女中にこっそり洗濯させるのでした

裁判長 邪魔者扱いされたというのだな?

菊子 ハイ

裁判長 その間、佐藤の生活は?

菊子 早く帰っても、女中と二人で三味線を弾いたり、父と3人で花カルタをし、私をはね者にしました。私はどんなことがあっても、女中の下敷きにされる理由がないと思います。しかも、別れ話にまで女中がくちばしを入れるようになりました

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裁判長 幾日いたか?

菊子 2カ月いました。その間、幾度か出て行こうと思いましたが、じっと辛抱していました

裁判長 別れる時の佐藤の言葉はどうか?

菊子 自分は博士になりたくはなかった。地位や名誉は要らない。これは決してうれしいことではない、と佐藤は言いました

裁判長 佐藤との間に昭和6年6月に妊娠したことがあるか? 高熱が続くというので人工流産をし、生まれなかったというのだね?

菊子 ハイ。佐藤の了解の下に

 裁判長は予審での調べの内容を踏まえて聞いているが、菊子に同情的すぎるように思える。