男に貢いだ揚げ句、裏切られた女性が恨みから犯罪に走る――。いまもよくある出来事だが、それが約80年前、女医が饅頭(まんじゅう)にチフス菌を混入させて食べさせたというのだから尋常ではない。1939年に兵庫県で起こった「チフス菌饅頭事件」。

 男尊女卑の風潮が厳然とあったうえ、第2次世界大戦勃発直前の風雲急を告げる時代。それでも、容疑者女性に圧倒的な世間の同情が集まり、裁判でも殺人か傷害致死かで判断が揺れ動いた。発端が「夫」に博士号を取得させるためというと、博士になっても大学などの専任教員になれない「ポストドクター」がごろごろいる最近とは隔世の感があるが、事件自体は、いま起きてもワイドショーや週刊誌の格好のネタになるセンセーショナルな話題性を備えている。

「博士に仕立てた夫を恨んで 菓子折に仕込んだチブス菌」

「純愛裏切られた女醫(医) 博士に仕立てた夫を恨んで 菓子折に仕込んだチブス菌 食べた小學(学)訓導ら十三名が發(発)病(一名は死亡)」。こんな見出しで報じたのは当時の神戸の地元紙の1つ「神戸又新日報」1939年6月6日付(5日発行)夕刊2面。このころの新聞にはノモンハン事件での日ソ両軍の衝突が報じられていた。

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「さる2月26日、明石郡西垂水町須磨病院副院長・佐藤幹雄(「幹男」の誤り)氏(37)方へ神戸市内某百貨店から贈り主匿名の菓子が届いた。同家では何心なくこれを受け取ったが、28日、幹雄氏の妹、小学校訓導(教諭)文子さん(30)が、その勤め先である川池小学校へ持参、教員室で9人の同僚へ分かち与えたところ、29日から相前後して9人の訓導ほか13名が発病、医師診断の結果、腸チフスと診定され、わけても幹雄氏の実弟律夫(「律男」の誤り)氏(32)はついに死亡するに至った」(同紙は見出しと本文で「チブス」「チフス」が混在)。記事はさらに続く。

事件を報じた地元紙「神戸又新日報」

 湊川署は県刑事課の応援を求めて「極秘裏に取調べを進めていたが、ついにその裏面にこの恐るべき犯行が暴露されるに至った」。「佐藤幹雄氏はさる昭和6年、神戸市神戸区中山手通り5丁目、吉村内科医方、女医広瀬菊子(37)と結婚したが、その後夫は『俺はどうしても博士になるんだ』という熱意を示したので、菊子は愛する夫のため、か弱い女の細腕で女医として稼いだ金をことどとく夫の研究資金に提供するかたわら、夫の研究の邪魔になってはと、約4年間別居生活を続けてきた。ところが昭和11年、夫は見事博士の栄誉を獲得したが、意外にもそれ以来、夫は妻の純愛に報いるに依然、別生活をもってし、しかも、妻に対する態度は日増しに冷たくなってきた」。

「菊子は再三の翻意を促すにもかかわらず、到底夫の愛を戻すことができないと感じ、ついに自分のささげた純愛の蹂躙に激高、ついにこの恐ろしい復讐を決意し、4月上旬、神戸市内某細菌研究所からチフス菌を入手し、4月5日、神戸某百貨店に赴き、菓子を購入。便所の中でこの菓子にチフス菌を混入、これをその百貨店から佐藤方へ匿名で発送させ、昭和の聖代にあるまじき恐ろしい犯罪が構成されたものである」。事件は東京でも同じ日の夕刊で記事になっている。