昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載昭和事件史

2020/07/05

「結婚記念日の4月10日まで1ケ年間呪い続けていたが……」

 東京朝日・大阪朝日と東京日日・大阪毎日はそれぞれ同系列でも記事の内容は一部を除いて違っているが、死者を含めた発症者の人数については、いずれも神戸又新より1人少ない12人としている。当然、現場に近い大阪の方が扱いは大きく、広瀬菊子や佐藤幹男の顔写真も載っている。大毎には被害を受けた教諭らの顔写真まで。その他、菊子が高知県・戸波村(現土佐市)の出身で東京女子医専(現東京女子医大)を優秀な成績で卒業したこと、佐藤幹男とは内縁だったこと、「夫」への送金のため2回にわたって帰郷して開業医をしていたことなどが報じられている。

広瀬菊子と被害者の教諭らの写真を載せた大阪毎日

 記事には菊子に対する軽い同情と合わせて、事件の展開をよりドラマチックにセンセーショナルに、という意図がにじむ。「絶望のどん底にたたきのめされた同女は男への断ち切れぬ愛情と恨みの相容れぬ二つの感情の相克に悩み続けた揚げ句……」(大朝)、「せっかくの楽しい結婚生活を夢見て、女のか弱い細腕で世の荒波に希望の丘を望んだのも水泡となり、ついに12年2月、7000円をもらって正式離別され、悶々の日を送ったが、再び佐藤氏の心が帰らないのを知って慕しさ余って憎さを募らせ……」(大毎)。東日は記事の末尾に「犯人は一家鏖殺にあらず、幹雄一人を目指していた点、並びに6カ年間にわたる同人の苦労などから、その動機に少なからず同情を持たれる」とまで書いている。

 半面、大毎は「机上にチブス菌 呪ひ(い)続けた1ケ年」の見出しで犯行に及ぶ心境をこう記述している。「知り合いの市民病院小玉医師からチブス菌をもらい、部屋の机の上に佐藤氏の写真と一緒に置いて、電波が通じるように菌が同人に植わるように祈り、結婚記念日の4月10日まで1ケ年間呪い続けていたが……」

九州名物「かるかん饅頭」にチフス菌を仕込んだ理由

 6月6日付朝刊になると、捜査員に対する菊子の自供が「告白」として紙面に載る。「まるで日陰者」(東朝)、「焦燥の六年」(東日)と東京の紙面は控えめだが、大阪は刺激的な見出しと記事だ。「『一個一殺』の陣立 相手も醫者だと周到な計畫(画)」の大朝は手口を細かく書いている。チフス菌を混入したのは主に九州で有名な「かるかん饅頭」で、チフス菌も1種類ではなかったとし、「謀殺に使用したカルカン饅頭50個は4月25日、これを大丸で買い求めるや、地階の便所内でその50個全部にあらかじめ用意してきた注射器で一個残さずチフス菌を植え込んだものである」と述べた。

©iStock.com

「皮のない乳白色のカルカン饅頭を特に選んだのは、チフス菌を培養器で培養した場合は、その色は乳白色を呈しているので、チフス菌を注射してあることが発見されないため、またチフス菌混入の注射液が吸収されやすいよう、特にカルカン饅頭を選んだものである」。「チフス菌を一種類に限らず、特に(腸)チフス菌とパラチフスA、B菌の3種類を混用したのは、相手を絶対的に感染せしめるためで、相手も医者であるから、万一チフス菌の予防注射をしていた場合は、チフス菌だけでは感染しないから、これにパラチフスA、B菌2種を混じ『一個一殺』、文字通り百パーセントの感染効果を狙ったもので、結婚記念日の昨年4月10日に計画を立て、それから1カ年にわたり、種々毒殺効果を科学的に研究を積んだものである」

z