大朝は6月8日付朝刊の家庭欄で「愛怨女醫の批判」として、警視庁技師と精神科医の杉田直樹・名古屋医大(現名古屋大医学部)教授の談話を載せている。杉田教授は、「(女性の)復讐の手段としては毒殺とか放火とか、悪口を言って歩くなどの方法が多く、それも男より用意が周到なのが特徴」と説明。技師は、1914年にオーストリアの陸軍中尉がコレラ菌とチフス菌を培養して毒殺を図った事件に触れ、「この病菌利用の新犯罪が一昨年、埼玉県・川口に現れたのがわが国で最初です」と述べている。
川口の事件とは、耳鼻咽喉科の開業医が、繁盛する同業医師一家の殺害を目的にチフス培養菌を混入した菓子を送ったうえ、保険金詐取を目的に自分の妻にも菓子を与え、妻を診察した内科医一家の殺害も図るなど、約1年間にわたって14人を感染・発病させ、うち3人を死亡させたもの。日本で初めて細菌が使われた犯罪だったとされ、技師は菊子が「これを模倣したものと思われます」とした。
「男性の醜い功利主義の残滓が見られると思う」
大毎も6月9日付朝刊家庭欄で「博士号」の問題について、佐多愛彦・大阪医大(現大阪大医学部)元学長の話を載せている。「どんなことでも押しのけて、いかなる犠牲までも払って“博士号”をとろうとするあらわれは、明らかに明治時代の官学の秀才教育の悪い遺風である。そこには男性の醜い功利主義の残滓が見られると思う」と断言。「“博士”になることに急にして、社会の道徳を、人間としての生きる道を忘却したところに、佐藤なる博士の誤りがあったと思う」と論じた。
神戸又新は6月9日付夕刊で、菊子が6年間に文語体でつづった手記の一部を紹介した。見出しは「彼は目覺(覚)めざりき」。その中では、佐藤一家のことを「彼らは最初より菊子を利用せんとせしなり」とし、「菊子はなぜかくも忍ぶべからざるを忍び、耐ゆるべからざるを耐えたるか。菊子は長き6カ年純情を捧げし夫、いつの日か目覚むることもあらんかとひたすら神に念じたり。されど彼目覚めざりき。その態度、天人共にこれを許さず」と述べている。
6月15日、菊子は殺人並びに殺人未遂罪で起訴された。東朝の6月16日付朝刊には、滝川幸辰弁護士が弁護人となることが報じられている。滝川は6年前の「滝川事件(※)」で京都大法学部教授の座を追われた人物としても著名で、この裁判の年に弁護士登録していた。
※滝川事件とは1933年4月、文部省が「滝川教授の講演や著書『刑法読本』が危険な内容を含んでおり、大学教授として適格でない」として、滝川幸辰を休職としたことに教員や学生らが抗議して
紛糾した事件
一方、週刊朝日1939年7月16日号には「チフス饅頭を贈られるまで」の見出しで佐藤幹男博士の「病床から」の手記が掲載されている。夫婦間のさまざまなトラブルが一方的に公開され、社会の敵のように指弾されたと、世間の風潮に反論したが、自己弁護に終始した印象だ。