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連載昭和事件史

2020/07/05

「一般傍聴席の8割までが女性」だった

 神戸地裁での一審公判は1939年10月5日から3日間。10月6日付(5日発行)大毎・夕刊は初公判の模様を伝えている。「限られた傍聴券を幸運にも手に入れた人たちは午前7時ごろから法廷に詰め掛け、同8時半には立錐の余地ないまで法廷を埋め……」、「一般傍聴席の8割までが女性」だった。「かくて9時半、傍聴券手に入らず、せめて菊子の姿を見ようとする人たちの中をぬうて編み笠姿の菊子が紺地お召単衣に、白地に鏡の織模様ある帯を締め、白足袋、コルクの草履というつつましい姿で出廷。満場の視線の焦点をまぶしく受けて、傍聴席の学友や旧知の人々にそれとなく目礼を交わして被告席に着き、編み笠を脱いだその顔には収容以来4カ月の苦悩より、むしろ全てを諦めた平静さが漂っていた」。この時の横顔を撮った写真も載っている。

 審理の内容は新聞にも載っているが、1日目については、医療従事者向けと思われる雑誌「醫海時報」の「医業と法廷」という欄も詳しい。ところが、双方の記述にはかなり違いがある。媒体の趣旨や意図を勘案して醫海時報に沿うことにし、1939年10月14日、21日号に掲載された記事を基に見ていく。差別語が出てくるが、当時の状況を理解してもらうために、そのまま表記する。検事が起訴事実を述べた後、青木敬輔・裁判長と菊子は次のような尋問と供述をする――。

事件当時の広瀬菊子(「婦人倶楽部」1939年12月号より)

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裁判長 皆がチフスにかかると信じたか?

菊子 必ずかかるとは思わなかった。チフスにかかる人はあるかもしれないが、ないかもしれない。つまり確信がありませんでした

裁判長 復讐の目的は誰が主であったか?

菊子 幹男さんが主で家族が従でありました。佐藤の両親が病気にかからなくてよかった、という程度の気持ちです

裁判長 小学校の訓導が罹病したが、他の人が菓子を食べることを考えていなかったのか?

菊子 考えていませんでした

裁判長 佐藤家に訪問客がある場合、茶菓子として出すこともあるのではないか?

菊子 佐藤及びその家族の性質を知っておりますから、絶対にあり得ないと信じておりました

裁判長 明朗快活、勝気で、とかく全てのことを独断的に専行すると、他の者は述べているが……

菊子 勝気な性格であることは自覚しております。しかし、独断専行ということは考えられません

 その後、菊子の経歴と佐藤との関わりに尋問が移っていく――。

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