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「佐藤の写真とチブス菌を机の上に並べて」

 大朝は別項で「殺人罪或ひ(あるい)は 未遂罪で起訴か」という記事を載せている。「全国で稀有な特殊犯罪だけに法的解釈は難しく、菊子が真に佐藤博士を殺害する意図の下にチフス菌を混入したか、あるいは他の病気に比し病床経過の長いチフス菌に感染させて痛苦を存分に与えるのみで復讐心を満足させるべくやったものか」判断が難しいと指摘。「取り調べ検事の立場から殺人あるいは殺人未遂罪として起訴されるものとみられている」としている。この点がのちに判決の分かれ目になる。

 大毎は「『佐藤がチブスと聞き 痛快を感じた』と自供」の見出し。菊子の供述を紹介している。「佐藤の写真とチブス菌を机の上に並べて、チブス菌が佐藤の上に乗り移ってくれますようにと祈り続けたなども児戯としか思っていただけないでしょうが、私にしてみれば、悶々の情をこれによって一年間抑えてきたのです。好きな小説も映画も全然身辺から遠ざけて、ひたすらに佐藤の不幸のみを祈ってきました。5月21日、佐藤がチブスにかかったと人から聞いた時は、心から痛快だと感じました」。「復讐を遂げた満足感に浸っているようだ」と記者は書いている。

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 大毎は6月7日付(6日発行)夕刊では、菊子の実兄尊興が地元高知から神戸を訪れ、務めていた戸波村の村長を辞任する意向を表明したと報じている。菊子の別の兄は現職の高知県会議員。地方の名家だったということだろう。

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 大毎の6月7日付朝刊には、それまで死者が出たことや学校の教諭らが発病したことを知らなかった菊子が、刑事から聞かされた時のことが書かれている。「愕然として机に打ち伏し『そうでございましたか。誠に申し訳がありません』とよよと泣き崩れ、それからの取り調べにはうなだれがちで言葉少なになり、思いがけないことであっただけに、そのショックは大きかった」。同じ紙面には「妹の幸福は壊れた」の見出しで兄尊興の手記が載っている。「妹よ、おまえは何ということをしてくれたのだ……」「いさぎよく服罪して……」。「湊川署で実兄に泣きすがるきく子」の説明が付いた2人の写真も(大毎は「きく子」と表記)。

菊子には同情論が沸き起こったが……

「兵庫県警察史昭和編」には、「女の愛を裏切った男に対する復讐の手段としてのチフス菌入り饅頭事件が新聞に報道されると、大きなセンセーションを巻き起こし、菊子に対する同情論が湧き起こった。桑垣伝・湊川署長の元へも毎日数十通の投書が舞い込み、そのほとんどが男の厚顔無恥と情け知らずを責め、弱い女への同情を訴えたものであり、『冷酷で女の不幸を知らない署長は行政官の資格はない』という手厳しい批判を受けたと、桑垣は当時を振り返っている」とある。その後、菊子は神戸弁護士会人権擁護委員会の弁護士2人と面会。「(委員会は)全員こぞって、あるいは代表者を選んで義侠的に本件の弁護に立ちたい」(大朝)と申し出たという。