ではあのキビキビとした文体は、血の滲むような文章修行の賜物、といったことではない?
「強いて挙げれば、小説を書き始めたころ、意識的に取り組んだことはありました。
大学生の時分です。最初からオリジナルの文体をゼロから編み出そうというのも無理がある。何かお手本を決めたほうがいいと思い、夏目漱石全集を傍らに置いて書いていた。書き方に迷ったら、夏目漱石はどう書いてるんだろうといちいち参照したんです。
最初は真似から入ったわけです。武道なんかでもまず型を学び、そこから離れていくのが結局は近道だなどと言いますよね。真似をしたあとに、ちょっとずつ自分の個性を出していけたらと考えました」
お手本を夏目漱石に定めたのはなぜだったか?
「いちばん癖がなくて読みやすいと感じました。それで真似しやすいかなという気もして、ここを基礎にさせてもらおうと決めました」
「受け手の側ばかりにいるというのはどうなんだろう?」
「ある程度仕上がったところで、天井のライトをつけ、ランプの明かりを消した。少し距離をとって鏡を見る。鏡に映る私は、美しいかどうかと言えば微妙だが、メイク自体はうまくいっていた。」(『改良』より)
大学時代に小説を書き始めた遠野さん。なぜそのとき小説執筆へと気持ちが向かったのだろう?
「単純なことで、小説はお金がかからなかったから。パソコンは持っていたので、設備投資は何ら必要ない。あとは読み書きができれば、何かしらできるだろうと安易に考えました。この上なくハードルが低いと思えたんですね。
もちろん実際に書き始めると、たいへん難しいというのはすぐわかったんですけど」
他に「やりたいこと」の候補はなかった?
「一応バンド活動はしていたんですよね。矢井田瞳さんや土屋アンナさんのコピーをするバンドでギターを弾いていました。ライブもしていたんですが、そのときに気づいてしまった。人前でパフォーマンスしたりするの、自分はあまり好きじゃないなと。
それにライブって、失敗したらもうおしまいという緊張感がすごい。あれがちょっとつらかった。小説は失敗しても書き直せばいいし、人前に出なくていい。誰にも邪魔されないところがすごく気に入りました」
もうひとつ疑問に思うことが。何か表現をすること、それはやりたいというのが大前提だったのはなぜだろう。
「大学時代に、受け手の側ばかりにいるというのはどうなんだろう? という気持ちが芽生えてきまして。
美術館に行くのが好きなんですが、展示を観るたびに疎外感というか焦燥感というか、何か落ち着かない気持ちになっていたんですよ。世の中にはいろんな人がいて、いろんな創作をしている。それなのに自分は何もつくっていないな……と。つくるほうの世界に入っていかなくていいのかな? という思いが頭をもたげるんですね。
それでバンドをやったり小説を書いたりするようになっていった。これでプロになるんだ! というような強い気持ちや計画があったというのではないし、何か伝えたいこと・発信したいことが明確にあるというのでもない。それこそTwitterを始めるようなのと近い感覚で、創作をやってみたわけです」