しっかり肉付けができた2作目の受賞作『破局』
やがて男が、折れていたページを子供の前で開いてみせた。ほら、元通り、と男は言った。絵本と子供の顔が、やけに近かった。(『破局』より)
そうして小説を書き始めた遠野さん、数年間の試行錯誤の末、2019年に『改良』で文藝賞を獲りデビューと相成った。芥川賞を受賞した今作『破局』は、それに続く2作目となる。
『改良』と『破局』で、変化もしくは進化はあったものだろうか。
「自分の印象としては、1作目の『改良』は骨格だけでできた小説と感じていて。2作目の『破局』では、骨組みにかなり肉付けができたかなという感触はあります。
具体的に何が違うかといえば、ひとつの事象に対する書き込みをかなり増やしたということ。たとえば序盤で泣いてる女の子が出てくるシーン(上に掲出の箇所)。たぶん『改良』だったら、もっと情報量を必要最小限に絞っていた。『破局』だと、人の顔と絵本がやけに近かったとか、必要かどうかわからないような情報まで書いています」
読む側からすれば、書き込みが増えたことによって、読みながら思い浮かべられる情景がより広がった感はある。小説にいっそうの膨らみが出たというか。
書き込みが増えたこととつながるかどうか、『破局』では「視覚」を強調した文章が印象的だ。眼前のものを徹底してよく見て、じっくり描写されているのだ。
「そうですね。自分自身もふだんかなり視覚が優位なので、書くものも自然とそうなるのかもしれません。外出するときはイヤホンを付けて外部の音はシャットアウトしていることも多いので。今作は視覚が前に出たのはたしかですが、他にもたとえば、嗅覚に訴えかける小説なんかはおもしろいかもしれない。匂いを感じとれる小説というのがあったら、お洒落な感じもするし、いつか書いてみたいですね」
「この作品で伝えたいことを挙げろと言われたら……」
小説を書く際に、あらかじめ書きたいことや伝えたいことがあるわけではないとは先に聞いた。一方で『破局』の主人公・陽介は「マイルール」や「生きるマナー」を、ことごとく表明する。それらは作者の主張というわけではない?
「そうですね。あくまでも陽介という人物の造形上の記述であって、彼が標榜するルールやマナーを僕が強く訴えたいということではありません。
あ、ただひとつだけ、陽介の気にする点と僕の思いが一致するところがありますね。
陽介が店で肉を食べているとき、隣に座った男が、足を開いてチュッチュッとすごい音を立てながら肉を食うシーンがあります。ああいう音を立てるのは僕自身も本当に嫌だなと思っていて。そういうのはやめようというマナーが少しでも広まればいいと思いながら書きました。
『破局』全編に伝えたいメッセージというのは特に込めていませんが、ひとつでもこの作品で伝えたいことを挙げろと言われたら、『音を立てて食べるのはやめよう』ということになりますね」
文学シーンの最前線に颯爽と現れた新鋭らしからぬ主張……。ともあれ、文学の世界に吹き込んだ新風の香り、ぜひ一読して味わってみては。
写真=松本輝一/文藝春秋