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永瀬叡王がスーツに着替えた理由とは

 昼食休憩からの再開前、永瀬は和服ではなくスーツに着替えて登場した。現代の縁台将棋、ニコニコ生放送では「お色直し」「なんかこぼした?」とコメントが飛び交ったが、本人は局後に「和服は不慣れな点が多く、スーツのほうが指しやすいので、対局しやすいように着替えました」と話した。

和服からスーツに着替えて登場した永瀬叡王

 和服をまとって指す棋士は、タイトル戦などの大勝負に出場する棋士に限られている。永瀬は昨年5月、3回目の挑戦で初タイトルの「叡王」を獲得した。秋に王座も奪取して二冠となり、今回は5回目のタイトル戦ながら初防衛戦である。和服に慣れるのは、もう少しかかるのかもしれない。

 豊島は2011年に20歳でタイトル戦に初登場しながらも、5回目の挑戦でようやくものにした。タイトル獲得は4期ながらも、まだ防衛に成功したことがない。二人が時代の覇者を目指す戦いは始まったばかりである。

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両対局者の昼食、但馬牛御膳(但馬牛丼、地野菜サラダ、煮物、味噌汁、香の物)

「タイトルを取ったときよりも……」

 トッププロが戦国時代にどう臨むかは様々だ。60歳を迎えた福崎九段は1978年に四段にデビューし、1986年に十段、1991年に王座を獲得した。タイトル戦の舞台で16歳上の米長邦雄永世棋聖、同年代の高橋道雄九段と谷川浩司九段、一回り下の羽生善治九段と戦った。激しい世代間闘争のなかでタイトルを獲得した福崎九段だが、それは棋士人生でいちばんうれしいことではなかったという。

「同じ棋士でも志が違うんですよ。棋士になったらええなという人もいれば、それだけじゃあかんと思う人もいる。僕なんかは四段になったのがめちゃくちゃうれしくて、棋士で食べていけるのがすばらしいと思った。タイトルを取ったときよりも、四段になったのがうれしかったんですよ。だから志は高くないんですよ。

 奨励会を途中でみんな辞めちゃうでしょ。研究会やっていても、『もう福崎くん、会われなくなってん。もう辞めることにしたから』といわれてねぇ。『なんでそんなこというてくれへんの、もっと練習しような』というたら、『福崎くんにいうたら絶対に止められるから、帰郷直前までいわなかった。君は棋士になろうとしているから、僕に対してもそういう気持ちでやってくるから。絶対に僕に対してもそういう気持ちでやってくるから』って。つらかったですよ、もう明日から会われへんから、突如言われて……。だから棋士になるかどうかって、本当に大事なんですよ。四段昇段でうれしかったので、あとはどんだけといわれても考えていないわけですよ」

温泉街を流れる大谿川(おおたにがわ)沿いには、風情ある柳並木の光景が広がる

 当時、「関西では谷川さんがひとり飛びぬけた存在だった」という。そこに羽生世代が続々と現れて切磋琢磨する時代になった。それがまた谷川九段にとっては刺激になり、1995年に羽生に七冠独占を許すも、タイトルを奪い返して竜王・名人になっている。「谷川さんはライバルが大好きなんです」と福崎九段は述懐する。

 永瀬と豊島を最も意識させる年下のライバル、それは藤井聡太棋聖に違いないだろう。20世紀末のように競争が激化するのだろうか。

写真=小島渉

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