お盆にはバナナひと房の10本が置かれていた
2020年、城崎温泉は開湯1300年を迎えた。対局当日は曇り空。夏至から小暑に移り替わるころで、日本海の荒波で育ったトビウオやマダイが名物になる。対局場の「西村屋」は安政時代に創業し、160年の歴史がある純日本旅館。新型コロナウイルス感染拡大防止のため4月から営業を自粛していたが、7月に営業を再開した。ロビーには七夕が飾られている。街いく人々は浴衣姿ながらマスクを身に着け、7つの湯めぐりを楽しんでいた。
対局室には豊島、永瀬の順に入室した。両者のお盆にはズラッと飲み物が並び、豊島側にゼリータイプと固形タイプの栄養補助食品、永瀬側にバナナひと房の10本が置かれていた。持ち時間は各5時間で、戦いは夜まで続く。途中で1時間の昼食休憩、30分の夕食休憩、15時におやつが出されるものの、パッとエネルギーを補給できなければスタミナ切れに陥りやすい。第1局は千日手のすえに23時13分に終了し、対局時間は13時間を超えた。
対局は10時に開始され、角換わりに進む。第1局の千日手局、指し直し局でも登場した戦型で、居飛車党のトップ同士では避けて通れない。角換わりの相腰掛け銀は後手が待機して千日手を狙うことが多く、この原理は戦後から脈々と続いている。
電王戦が呼び起こしたもの
ドワンゴ主催の棋戦といえば、2012年から2017年にかけて行われた電王戦が浮かぶ。棋士と将棋ソフトの白熱した戦いは注目が集まり、社会現象にさえなった。異次元の強さを誇る将棋ソフトは盤上に影響を及ぼし、研究にソフトを導入する棋士が大いに増えた。ソフト発の作戦が公式戦で猛威を振るい、まったく指されなくなった流行形もある。
将棋ソフトによって、人間の築いてきた歴史が侵食されたように見えるかもしれない。だが面白いのは、人工知能による進歩は人間の過去をすべて切断するわけではないことだ。
第1図(45手目▲4五歩)で9筋を突き合う形にし、2二の玉を3一、6八の銀を7七にすれば、1957年の第7期王将戦挑戦者決定リーグの▲有吉道夫五段-△大山康晴八段戦(初手合いの師弟戦)と同一局面になる。
本譜は第1図から△4五同歩▲3五歩△4六歩▲同金△3五歩(第2図)と進んだ。この手順自体は、「打倒大山」を公言した山田道美九段の『山田道美将棋著作集 第三巻近代戦法の実戦研究 3』(【編】中原誠 大修館書店)に類似形(9筋を突き合い、先手は7七銀、後手は3一玉・6三金・8二飛型)で紹介されている。△3五歩まで進み「先手の攻め足は鈍ってしまう」と山田九段は記しているが、第2図を見ると、6八銀型なので△3九角がなく、▲3五同金に△4六角もない。もちろん同一局面ではなく、仕掛けまでの駆け引きはまったく違う。ただ、先手の攻撃態勢だけ見れば、豊島が山田九段の問いに答えた格好だ。
温故知新のトリガーになっている
将棋ソフトが登場する前でも大棋士の棋譜を並べ、当時の観戦記を読むことはできた。だが、現在進行形で研究されている作戦であれば、自分の読み筋と比べて先人の戦いがより鮮やかに蘇る。将棋ソフトは革新だけでなく、温故知新のトリガーになっているといえるだろう。
近年の角換わりで主流になっている4二玉・6二金・8一飛型を指したのは、将棋ソフトをいち早く取り入れた千田翔太七段。第1回電王戦に出場した初代叡王・山崎隆之八段の研究パートナーを務めた。本局の後手の作戦は玉の位置こそ違えど一段飛車と金の配置は同じであり、木村義雄十四世名人が名人戦で指した形と同じである。そして、電王戦でソフトに勝利した豊島と永瀬が「叡王」のタイトルを争うのは感慨深い。ドワンゴが将棋界に蒔いた種は立派に育ち、地殻変動を起こしている。