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台中間の感情にも注目したい

 本書では、台湾社会の機敏な対応や社会の団結を取り上げてきたが、台湾の世論の変わり身の早さはすでに述べた通りだ。今後の経済指標などの悪化が長引けば、多くの市民が不動産や株式への投資を行っていて景気動向に敏感な台湾世論が、現在の蔡英文民進党政権への批判に転じないとも限らない。

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 何よりも、今なお輸出や観光客の4分の1を依存する中国と距離を置こうとする民進党政権に対して、中国が事実上の制裁として中国市場からの締め出しやさらなる観光客の制限などの措置を講じるかもしれない。台湾に対するWHOの参加支持など、中国の政策と相容れない台湾支援の国際世論が世界中で高まれば高まるほど、中国が対台湾政策をさらに強硬化させ、軍事力や経済力を駆使したプレッシャーをかけてくることは容易に想像できる。

 私は、中国による台湾への武力侵攻は、短期的には特別の条件(台湾の憲法改正や独立宣言)が起きない限り可能性は極めて低く、米中のバランスのなかで現状維持が続いていくと見ている。しかし、中国が敵視する民進党政権の地位強化などがますます進んでくると、中国は次第に台湾問題の先行きに焦りを感じ、台湾問題のリスクは、その分高まっていくと考えるべきである。

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 私たち日本人が隣人として、年間670万人の人的往来があり、相互感情も良好な台湾とどう付き合っていくのかも、アフターコロナの時代により重要になってくる。

コロナ後の日台関係

 そうした観点から、アフターコロナの日台関係についても考えてみたい。

 日本にとって、台湾は複雑な歴史を有する相手だ。特に日本の近代は台湾と深く絡んでいる。明治政府が台湾へ初めての海外派兵を行ったのが1874(明治7)年。表向きは漂着した琉球人を殺害したことに対する懲罰的な攻撃を行うことを目的としながらも、裏では明治維新による旧体制の武士階級の不満を外に向けること、そして、日中両属状態となっていた琉球への主権が日本にあることを清朝に認めさせることを目指していた。清国に渡った大久保利通は琉球人「保護」の権利が明治政府にあると主張し、日本は琉球王国の廃止、そして沖縄県の設立へ向かう。

 その後、日清戦争で日本は清朝を破り、台湾を手に入れた。その台湾は、日本にとっては初めての海外植民地であった。日本は台湾統治に国家の総力を挙げて取り組んだ。その結果、沖縄などから出稼ぎの人々が台湾に行くほどの経済的安定を導いた。台湾人の勤勉さ、台湾の恵まれた自然環境も有利に働いた。

 日本統治初期の苛烈な反対勢力の弾圧、台湾人に政治的権利を十分には与えなかったことなど、台湾統治におけるプラスとマイナス面は常に議論されるところだが、民政長官として活躍した後藤新平など優秀な明治の人材の働きを通して衛生環境の改善など台湾全体の近代化に貢献したことは、日台双方でほぼ受け入れられる見解となっている。