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日本に「2度捨てられた」台湾と友好関係を築き続ける重要性

『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』より #2

2020/07/30
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日本に「2度捨てられた」台湾

 第二次世界大戦に突入すると、日本は戦地に多くの台湾人の若者を動員した。そして1945(昭和20)年に敗戦すると台湾を手放し、日本人は台湾から去った。

 1952年に日本は台湾に撤退していた中華民国と国交を結んだが、日本は1972年に中華人民共和国に乗り換え、台湾とは国交を断絶した。台湾の中には、1945年と1972年、二度にわたって「日本に捨てられた」と感じる人がいるのも十分に理解できる話である。

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 その後の日台関係は、国交がない中、古くから日本と台湾を繋いできた人々によって細々と支えられてきた。台湾に関する情報は日本の中で姿を消し、台湾を「国扱い」しようものなら、中国大使館から抗議を受け、日本社会ではなるべく台湾に触れないようにする心理が広がり、日台関係の暗黒の時代が続いた。台湾に新たな脚光が当たるには、台湾民主化の結果として1996年の直接総統選挙の実現を待たなければならなかった。

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震災支援を絆に、新たな局面を迎える日台関係

 私が台湾について書いたり調べたりするようになったのは2000年代後半以降だが、最初はごくごくマイナーなテーマに過ぎなかった台湾が、民主化の定着とともに徐々に日本の中でも注目され、大事にされるように変わってきたことを感じてきた。

 この10年、日本と台湾は新しい局面に入ろうとしている。2011年の東日本大震災で台湾が日本に200億円の義援金を贈ってくれたことは、記憶に新しい。金額的にもナンバーワンで、人口比にすれば、さらにその大きさは際立っていた。しかも、その大半が、政府の拠出ではなく民間の少額募金であったことが日本人を感動させた。

 その時、私は本書でも強調してきた台湾社会の「共感力」に刮目させられると同時に日台関係の潮目が変わったことを実感した。過去において、どちらかといえば日本が台湾に「与える側」であった関係が、双方向的なものに変化したのである。

 東日本大震災の後、そうした日台関係の変容を示す興味深い現象が起きた。それは「震災支援の連鎖」である。

 2016年2月、台湾の台南市でマグニチュード6・4の地震が発生し、1000戸以上の家屋が倒壊する大きな被害をもたらしたが、日本政府は地震発生の翌日には予備調査隊を台湾に派遣し、現地調査で支援のニーズの確認を行うと同時に、緊急支援物資を送って現地で困っていた給水システムの確立をサポートした。

 台湾側を驚かせたのは、彼らが使い切れないほどの支援物資や援助金が日本の民間から送られたことだ。こうした反応には、東日本大震災の恩返しという意味が込められていた。