同期に「小島はどうしてはっきり意見を言うの?」と聞かれた
入社して程なく、私は自分の脳みそではなく属性が商品であることに気がついた。「TBS新人アナウンサー小島慶子です!」と言うたびに、ただの小島慶子じゃいけないのか? という思いが大きくなった。「新人らしくない/新人のくせに」「女子アナらしくない/女子アナのくせに」に振り回されて、何が正解かわからなくなった。どうやら理想の新入社員と理想の女子を同時にやれと言われていることはわかったが、それがどういうものなのか、想像がつかなかったのだ。
実は、内定が出るときに同期3人のうち私だけが保留された。人事部の人が「あなたをアナウンサーで採用することに強固に反対している役員がいましてね……ちょっと待ってくださいね」と電話をかけてきた。結局数日後にアナウンサーで内定が出たのだが、今思えばその役員は慧眼だった。
“女子アナ”をやる技術というのは研修で身につくものではなく、その人が幼い頃からの生活環境の中で身につけたコミュニケーションスタイルがそのまま出るのである。他人の欲望を体現することが習慣化しているほどこなしやすい。
私は先述したように、男性を立ててニコニコ良い子をやるという型とは全く縁のない育ち方をしたので、実に“無粋”であった。ある地方出身の女性アナにしみじみ言われたことがある。「小島はどうしてそんなにはっきり意見を言うの? 私は実家でもずっと“女はニコニコして男の意見を聞いていろ”と言われて育ったし、そんなふうにはっきり物を言うこと自体が怖くてできない。すごいと思うけど、なんでわざわざそんな大変なやり方をするの?」と心配してくれたのだ。その通り、彼女は生来の“女子アナ”らしさが身についていた。でも私はいくら真似しても、どうしてもうまくできなかったのである。
そんな自分を随分責めたが、あるときふと、おかしいのは私じゃなくて“女子アナ”ってやつの方だと気がついた。そして一見適応しているように見える彼女たちも、胸の内には複雑な思いを抱えているということも。
私は父のような経済的強者になりたかったのと同時に、そうした強者が女性に向ける眼差しを憎んでいた。「誰のおかげで」と言った父だけでなく、母や姉が私に擦り込んだ「値踏みする男の視点」を憎んでいた。その眼差しは女の顔や体つきを品定めし、愛されるためにもっと努力しろ、じゃないと幸せになれないぞと脅す。テレビにも雑誌にも家族の言葉にも、耳目に触れる全てのものにそのメッセージは仕込まれていた。その呪いから、なんとかして自由になりたかった。
お金さえ自力で稼げれば、品評会から離脱できる。だけどやっぱり“高級な女”でいたいという矛盾した思いもあった。当時の男の勝ち組である父の価値観と、女の勝ち組である母の価値観を取り込んで、全方位的に勝ちたいと欲張った結果、まさにそれを全て体現しているような“女子アナ”と呼ばれる職業にたどり着いたというわけだ。
女も、男も、誰も幸せになれない社会
いわゆる男社会の弊害を言うときには、男が加害者で女は被害者という二項対立になりがちだが、硬直したジェンダー観の強化には女性も加担している。私が生まれた1970年代は専業主婦が多数派で、男性労働者を効率的に働かせるために女性はそのバックアップに従事し、男は稼ぎが多い方が、女は料理と子育てが得意な方が幸せになれるという物語をしっかり次世代に仕込んだ。戦前生まれの私の母などは、それで実際幸せになれた世代である。