1ページ目から読む
4/5ページ目

「犯罪傾向が進んでいない」というための不可思議な論理展開

 これに対して、第2審判決では、おおむね次の点を指摘しました。

(1)見ず知らずの者同士の犯行の場合には、意思疎通の不十分さから計画も不十分となり、犯行が失敗に終わりやすい面があること

(2)今回の事件でも利恵さんが、富美子さんのために必死に預金を守ろうとして真実とは異なる暗証番号を伝えた結果、犯人らが奪ったキャッシュカードでの預金の払戻しに失敗するなど、犯行がさほど巧妙ではなかったこと

ADVERTISEMENT

(3)素性を知らない者同士ゆえに結束力の乏しさから早期の検挙にも繋がったこと

 さらには、第1審で挙げられた「インターネットを通じて集まった素性を知らない者同士が短期間で犯罪を計画遂行する場合に、お互いに虚勢を張り合うなどして、犯罪が凶悪化しやすい」点については、「そのような状況であるがゆえに、犯罪傾向が進んでおらず矯正可能性がある者であっても今回のような罪を犯しかねない」と指摘したのです。

©iStock.com

 そして、あろうことか、殺害の態様が残虐になったのは、利恵さんが簡単に絶命しなかったためであるという驚くべき判断をしたのでした。

 つまり、2審の判決は、被告人らは犯罪傾向が進んでおらず、矯正可能性もある者であり、この凶悪犯罪が起こった原因は、犯行当時の状況によるものだと言っているに等しいのです。

死刑回避を前提にした不合理さ

 とりわけ不合理さを感じたのは、「犯行がさほど巧妙ではなかった」「殺害態様が残虐になったのは被害者が簡単に絶命しなかったため、殺害の手段を次々に変えた結果」などという点を死刑回避の事情の一つとして指摘していたことです。

 利恵さんが預金を必死に守ろうと機転を利かせて異なる暗証番号を告げたために犯行が失敗に終わったこと、そして、生きることを最後まで諦めなかったために凄惨な方法で殺害されたという、その経緯が死刑判決を回避するための方便として使われてしまっています。

 そのこと自体、利恵さんや遺されたご家族の想いを踏みにじるものであり、二次被害そのものではないでしょうか。

 第1審判決と第2審判決の判決理由を比較するたびに、死刑を選択した第1審判決の方が説得力を持っていると感じざるを得ません。

 自首をした犯人については、第1審・第2審を通じて自首による減刑を認め、無期懲役の判決が下され確定しています。