オリックスの次期監督、あるいは将来の監督は誰にすべきか。

 最初に念押しさせてもらうが、以下に書くことは成績不振が続く球団のファンが吐き出す不満とか、よくある「○○辞めろ」的な話ではない。

 監督というのは、いつかは代わる。次に代わるとき、あるいはその後にこんな発想もあってよいのでは? という話だと思っていただきたい。もちろんチームが低迷から脱するためのアイデアという前提である。

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 では、監督を誰にしろという話なのか?

メンバー表を交換する西村徳文監督

無死一塁のバントに文句を言うのではなく、その理由を考えてみた

 監督人事案として推したいのが、「AI監督」である。いやいや、ユニバーサルミュージック所属の歌手ではない(当たり前だ)。「人工知能監督」である。

 突飛は承知だが、そんなことを考えるようになったのには理由がある。

 オリックスは長年「無死一塁だいたいバント問題」というものを抱えていて、それを不満に思うファンもいる。しかし不満に思うだけではなにも解決しないので、どうしてそのようになるのかを考えてみたのだ。

 オリックスの監督・コーチに会ったことも話したこともないので完全なる推測だが、おそらくあの手のバント、命じる側としては「得点確率の最大化」を実行しているつもりなのではないだろうか。そして、「得点期待値」という概念はひょっとすると持っていない。他球団にも似た傾向はあるので、競技者の世界ではセイバーメトリクス的なものがいまだにピンときていないのかもしれない。

 実際には無死一塁の送りバントは得点期待値だけでなく得点確率も下げる(投手なみのOPSでない限り)と言われているが、そこよりだいぶ手前の次元でオリックス(そして場合によっては他球団も)の試合は行われている可能性がある。さらにオリックスの場合、「うちの選手、世間相場よりバント下手じゃない?」という疑惑を乗り越えて高校野球的な戦術にこだわっている。

経験と勘こそが至高と思われているなら、突破口はそことは別な場所にある

 「マネー・ボール」の日本語版が出たのは2004年。同書は編成に関する記述が多かったが、別ルートも含めてセイバーメトリクスという概念が日本に普及しだしたのはこの頃だろう。以降、ファン目線だと選手の評価や戦術についての見方は大きく変わった。

 しかし、それまでの常識が変わることを歓迎しない人もいる。私が仕事にしている競馬の世界でも、血統やデータを予想や競走馬購買のツールに用いると「あいつは馬を見れない(見た目で評価できない)からだ」と蔑まれることがある。「経験と勘こそが至高」という人はどんなジャンルにも多い。

 ほかならぬ「マネー・ボール」もアメリカでは一部でアレルギーの対象となり、批判も浴びた。競技者や「これまでの野球」の信奉者にとって、科学だの統計だのに上からモノを言われることは愉快でない可能性もある。

 セイバー浸透以前と以降でOBによる野球解説を比べてみても、大きな変化は無い。つまりNPBの競技者およびOB(監督コーチも含まれる)はセイバー的なものを重く見ていない可能性がある。この仮説が正しいとしたら、勝てていない球団の突破口はむしろそこにこそあるのではないだろうか。

「経験と勘と筋肉」をぶつけあって勝てているチームは余計なことをしなくていいが、勝てていないチームは別な切り口を探す必要がある。バントの例は戦術の話だが、選手起用の面などでもいままでと違う価値観を持ち込むことは無益ではないと考える。

 さらに、もし上位のチームが一定量セイバー要素を取り入れているとしたら、それを上回る勢いで取り入れないと序列は変わらない。それもあってセイバーをベースとする「AI監督」という極端な設定をとらせていただいた次第だ。