神戸山口組から中核団体の山健組の一部が離脱の動きを見せ、周囲に動揺が広がっている。(全2回の2回目/前編から続く)
組織の肥大化からか、派閥の間や人間関係で軋轢や摩擦が繰り返されてきた山口組とはいえ、神戸山口組の独立後5年間は、離脱や引き抜きの歴史だった。
そもそも今回の騒動も、暴力団関係者にはどこか既視感のある光景だった。というのも、3年余り前にも神戸山口組では分裂騒動が起きていたからだ。
離脱したのは、神戸山口組若頭代行であるとともに、山健組副組長でもあった織田絆誠。山健組内の3分の1という大勢力を引き連れて離脱し、神戸山口組内の別の組織とともに任侠団体山口組(当時)を結成した。
任侠団体山口組は2017年4月、神戸山口組を離脱したことについて異例の記者会見を開いた。元神戸山口組若頭補佐の池田幸治は、会見冒頭で次のように、弘道会支配を批判した。
「第1に金銭の吸い上げ、第2に当代の出身母体(弘道会)のひいき、第3に当代が進言・諫言を一切聞かない、これでは山口組が自滅の道をたどる」
さらに、神戸山口組についても、「真っ向から否定して立ち上がったにもかかわらず、神戸山口組の現実は名古屋方式にも劣るそれ以下の悪政でした」と返す刀で批判した。ここでいう名古屋方式とは、弘道会の拠点が名古屋市にあるため、弘道会支配についてこう表現している。
さらに会見に同席した別の幹部は、次のように批判を続けた。
「分裂以降、ふたを開けてみたら、一向に金銭の吸い上げがやまず、(略)名古屋方式の上をいくようなお金の吸い上げをその後も続けており、多額の使途不明金の詳細も分からないまま」
任侠団体山口組はその後、任侠山口組を経て絆会へと名称を変更して活動を続け、兵庫県公安委員会から指定暴力団と認定されている。「山口組」の名称と「山菱の代紋」の使用を取りやめたのは、「(6代目山口組若頭の)高山の圧力があったようだ。織田一派が、同じ山口組の名称と代紋を使い続けるのが許せなかったのだろう」(警察庁幹部)。