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広島カープの試合を静かに観ながら思う……私の“野球ダコ”はどこへゆく

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/08/11
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 野球ダコはどこへ消えゆく?

 今シーズン開幕が遅れた3か月で私の野球ダコがどこかへ行ってしまった。

 ここでのタコとは、野球をプレーしている体にできた硬い角質のことではなく、反復する野球の刺激で固まった心の一部分である。

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 数字の20を見れば「あ、北別府(世代)」、ポケモンGOでどんなレベルのポケモンもコツコツ捕獲して数字を積み重ねることを「あの年の秋山のように」と自分のルールにしたり、可愛いTシャツを見つけても「オレンジは敵の色だから」と購入を見送ったり、こし餡の饅頭を買う時に男前田の粒餡好きを必ず思い出す、そういう生活の中に入り込んでいる野球のことだ。

 なにかしんどい出来事に出会うと「逃げちゃだめだ」と頭の中で繰り返すアニメダコや、ドラマダコ、音楽ダコ、サッカーダコ、映画ダコ、みんな何かしら心にタコがいる。

私はこのまま熱い野球ダコを失うんだろうか

 プロ野球が終わる11月からオープン戦が始まる翌2月まで本当に野球が恋しくて長く感じる。はやくはやくと月日を脳内で急がせる。キャンプ情報くらいでは野球が足りなくて渇いてしまう。

 その渇望が開幕延期の期間には無かった。なぜか。コロナ終息を一番に考えるべきと野球脳を封印したことに加え、自主トレも無くなったため野球のニュースがほぼ入らなくなり野球ダコを刺激するものが日常から消えたからだ。新しい野球が体に触れないとタコは消えていく。

 私はもともとアニメーターで鉛筆ダコが右手に3つ左手に1つあった。がっちがちのタコでカッターで削っていたほどだ。しかし漫画をペンで描くようになって3年程経った頃、鉛筆ダコは消えていきペンダコが新たにできた。同じ絵を描く仕事でもタコの位置が違うのだ。体のタコでもそうだから、野球刺激のない日々で気持ちのタコは静かに消えていった。

©文藝春秋

 待望の開幕戦。前より静かに観る自分がいた。一緒に応援してくれた14歳の猫は1月に旅立ってしまった。球場にも行けない、行っても同じ野球ファンとハイタッチはできないのだ。静かにならざるを得ない。

 テレビで野球を観ているときに前よりカープのピンチに弱くなってる自分を発見した。追い込まれるともう気持ちが負けそうになる。前は硬い野球ダコが弱い気持ちを支えていた。負けを観たくないやわな奴じゃカープファンやってられっかい、と。

 私はこのまま熱い野球ダコを失うんだろうか。

 不調なカープを淡々と観る日々。

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