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悪人には見えない風体

 売人が私の車に乗り込んでくる。やせ形でカジュアルな服装だが、悪人には見えない。もちろん購入するわけにはいかないので、「金が用意できなかった」と言い訳した。

「不特定多数を相手にして危なくないんですか?」

「電話でだいたい分かるからね。あんたシャブ行くんだろ? そんなふうには見えないなぁ~」

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 もっと質問しようと思ったら「金が用意できない時は電話してよ」と注意された。

「話をきかせてもらえません?」

「あんた……警察?」

「違いますよ。ただ興味があるだけです」

 白々しい嘘が通用するはずもなかった。売人はさっさと車を降り、去っていった。

 どうしてネタ元になってくれたのか……といえば、売人が私の車に携帯電話を忘れたからである。売人にとって携帯は顧客のデータがぎっしりつまった商売の必需品だ。

©iStock.com

 5分もしないうちに電話がかかってきた。

「……さっきの人?」

「そうです」

「電話取りに行きたいんだけど……」

「いいけど、ちょっとだけでいいから話を聞かせてもらえませんか?」

「なんで?」

「取引しましょう。実は取材なんです。ケツ持ちに電話しないでくださいね。あなたたちのシノギを邪魔する気はありません」

 タクシーで後をついてきているカメラマンが私の安全保障だった。なにかあればすぐ警察に通報するよう指示していた。道路の反対側には交番がある。売人にとっては嫌な場所だったろう。

ウィークリーマンションに住まう売人

 それから数回、この売人と接触した。ミナミの大国町のウイークリーマンションが彼の部屋だった。バックにはやはり山口組系の暴力団がいた。窓口になっている組員はあらかじめ絶縁されていて、逮捕されても組織の名前が出ないよう、用意周到に細工がされていた。

 最後には、ケツ持ちの組長とも焼き肉屋でメシを食った。

「余計なお世話やろうけど、無茶な取材やで……」

 言われてみればその通りだった。しかし暴力団ルートでは、こうした取材は不可能だ。

 現在、ネット売買はいっそう巧妙になっている。いつかは足がつくのだが、プロキシをいくつも通し、外国のサーバーを経由されたら、ネットの痕跡から密売人を辿ることは実質、不可能に近い。インターポールは、一国の末端の覚せい剤売買の検挙を手助けするほどヒマではない。これを摘発するのはおとり捜査しかない。

潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)

鈴木 智彦

文藝春秋

2011年2月17日 発売