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「安楽死ツアーの一択」「若い人の負担が減ればよいではないか」というツイート

 京都ALS女性嘱託殺人事件で逮捕された医師のひとりが使っていたといわれるアカウントにも、今年だけでこんなツイートが残されている。

「コロナの経済対策?ガラガラの温泉施設で安楽死ツアーの一択だろ」(2月25日)、「シンプルに考えて、毎月の療養病床入院料1イA 1795点×30日 = 538500円 このうち自己負担はたったの44000円 差し引き 494500円は誰かの負担 地獄や」(3月26日)、「コロナで介護が滅んで老人の死屍累々になっても、別に驚かない。若い人の負担が減ればよいではないか」(4月2日)。

嘱託殺人で逮捕された医師のひとり、大久保愉一容疑者(本人クリニックのホームページより)

ホッヘはナチの安楽死計画に反対した?

 そんなホッヘについて、忘れられないエピソードが存在する。

 ビンディングは、本書の刊行直前に亡くなったけれども、ホッヘはナチ時代の後半まで生きていた。では、ホッヘはナチの安楽死計画に諸手を挙げて賛成したのか。否。むしろ反対にまわった。

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 なぜか。それは、ホッヘの身内が、まさに安楽死の犠牲になってしまったからである(ちなみに彼は、妻がユダヤ人だったために、長年勤めていた大学を辞めてもいる)。これほど教訓的な末路がまたとあろうか。

写真はイメージ ©︎iStock.com

「殺してよい」と主張する者は、自分を“強者”の側だと思っている。だから、自分や自分の周りが安楽死の対象になると考えていない。ところが、人間は年を取るし、病気にもなるし、怪我もする。“強者”もいつかは“弱者”になりうるのだ。そして“弱者”になったとき反対に回っても、もはや手遅れなのである。

「安楽死で負担軽減」。それは、「家族のため、社会のため」という美辞麗句をともなって、われわれの間に浸透し、尊厳死の議論とも結び付く。そしてそれを主張する者自身にも、ときに襲いかかってくる。そんな魔の思想とどのように対峙するのか。100年前の“禁断の書”をめぐる歴史は、そんな問いを今も生々しくわれわれに問いかけている。