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 実は(新)廃止主義の中でもセックスへの意味づけについては違いがあり、上記のように「恋愛」「結婚」によるセックスを特権視するものと、セックスそのものを全て「男性支配」の行為として否定するもの(世界的に著名な廃止主義フェミニズムの理論家であるキャサリン・マッキノン氏など)とある。

 筆者は後者の厳格な立場には一理あると考えるが、それを全面化はできないと考える。男性中心社会で「完全に平等なセックス」はありえないとしても、現実にはわたしたちはセクシュアリティ(性的な事柄全般を指す用語)に対処して生きていかなければいけない。

「セックスワークは素晴らしい」と言いたいわけではない

 生きるための選択としてセックスワークを選ぶ人々(女性、男性、性的マイノリティ)はたくさんいるし、セックスワーカー当事者として発言をしている者もいる。

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 ベストではないがベターな選択、あるいはギリギリの選択としてセックスワークに就く当事者(ベストと考える人もいる)に、どうしてそれを「女性差別」、あるいは「クオリティが低い」として禁止できるのだろうか? 当事者の現実よりも性規範を優先していると言われても仕方ない。

 どうも「セックスワーク論者は女性差別を無視している」と誤解する向きが多いのだが、決してそんなことはない。セックスワーカーの権利擁護と性差別解消は矛盾しない。

 セックスワーカーに女性が、サービスを購入する側に男性が多い理由は、経済的な男女の不平等が大きい。男女平等はもちろん、必ず達成されなければならない。同時にセックスワークの環境をより安全なものにし、やめる自由も続ける自由も保障されなければならない。

©️iStock.com

 前述の藤田氏は、福祉の現場が「生活保護を申請する前に風俗で働け」と貧困女性をあしらうことをセックスワーク論に反対する理由としているが(2020年7月27日7月19日のツイートなど)、そのような福祉の態度は「風俗は女性なら誰でもできるレベルの低い仕事」という偏見にもとづいている。そういう偏見を批判するためのセックスワーク論なのであり、福祉の専門家こそ理解する必要がある。

 性産業の現場は、リスクや不合理の多い世界だ。不要な管理、締め付け、あるいは(性)暴力も存在している。実は最も重要なことは、法的保障によってその労働環境を改善し、セックスワーカーへの差別や暴力を禁止することであり、「セックスワークは仕事だ」という主張はそのためにこそある。何も「セックスワークは素晴らしい」と奨励したいのではないのだ。