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私の家出した日を命日としておくれ」

 家を出た時、長男と長女がいたが、時々ブラリと旅行するので気に留めなかったという。「ところが数日前、平安丸に乗っている輝雄君に宛てて母からの手紙が来た。その手紙には兄妹3人の将来を戒める母としての情味あふれる言葉がつづられており、『亡き父さんへの責任は果たしたが……。妾(わたし)は疲れた』と厭世的な字句があったのでいぶかしく思って、下船と同時に帰宅して兄たちに話して、おかしいというので、家中を探していると、女史の幼少からの全生涯を日記式にしたためた回顧録ふうの原稿に添えて、家出自殺の意味の遺書が発見されたので、驚いて捜査願いを出したものである」。その遺書の概略も紹介されている。

 子どもたちはもう大きくなったから、私も安心だ。生活に疲れた私は死の家出をする。死体は絶対に分からないようにするから、探すのは無駄だ。海の底から子どもたちの幸福を永遠に祈っている。私の家出した日を命日としておくれ。

 読売には別項で「慈愛の母に 祈る『生存』」の見出しで次男輝雄の談話が載っている。「慈愛という言葉は、そのままあの母に当てはまるだろうと思われるほどやさしい母でした。生活上のことや仕事の話などは僕たちに少しも話してくれたことがありませんでした」「長い間苦労をかけた母です。どうやらこれから僕たち兄妹で喜ばせることができると楽しみにしていたんですが……。どこかで生きていてくれるように祈っています」。記事は「彼女は憩いを永遠の死に求めて失踪したものらしい。警視庁では近隣各署に手配しているが、既にどこかで自殺を遂げているものとみている」と締めくくっているが、まだこの時点では生きていたことが後で分かる。

偏見に満ちた記事「彼女をめぐる桃色のうわさは絶えなかった」

 読売は8月7日付朝刊でも社会面トップで続報を載せているが、「“母”はしょせん“女” 行暮れて死の清算 背く子に虚栄の破局 遺した黒髪と死亡通知文案」の見出しで分かるように、かなり偏見を感じるストーリー。「遺書も早く発見されることを恐れて自宅に送らず、わざわざ次男輝雄君の勤め先、日本郵船横浜事務所気付にしてあり、整理された家の中に黒髪を切って『死骸の代わりに埋めてくれ』と残してあるうえに、『母千代儀、病気のところ突然死亡仕(つかまつり)候(そうろう)間(あいだ)……』と死亡通知の文案をしたため、それを発送すべき知友300名の名宛まで書いてあるなど、用意周到に整えられた死の準備のあとを見ても、無事に発見される望みは薄いとみられている」というのが本筋の情報のようだ。

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 だが、「派手だった四十余年の生涯をなぜ突如して自ら閉ざさなければならなかったのか? 長い苦闘に疲れ果てて求めた永遠の憩いか? 『母の任務』終われりとして追った死か?」「恋愛問題から愛宕山を追われて後も、彼女をめぐる桃色のうわさは絶えなかった。女教諭―女アナウンサー―雑誌編集者と転々、生活のために闘ってきた彼女だが、人一倍派手好きな性格は、次第に彼女を経済的苦境に追い込んで、昨年夏、もうけようとして新宿に開業したおでん屋「翠」もうまくいかず、最近店を閉じてしまってからは、日本観光協会で働くかたわら、親しい友人にも内緒で某生命保険会社の外交員となって月給35円(2017年換算で約7万1000円)で働かねばならないほどになっていた」と、書きぶりは冷ややかだ。秋子に関する報道はここでいったん途絶える。秋子に関する報道はここでいったん途絶える。