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連載昭和事件史

日本初の女性アナウンサー・翠川秋子は、なぜ元ラガーマンの好青年と"心中”を決意したのか

1935年に日本を騒がせた「翠川秋子心中事件」 #2

2020/08/02

日本初の女性アナウンサーが子どもをおいて“年下男子と失踪”…… 1ヶ月後に起こった「翠川秋子心中事件」とは>から続く

 1月13日付夕刊で読売は、アナウンサーを退職した後の秋子の消息を伝えているが、その見出しは「女の俄(にわか)浪人 東京放送局で紅一點(点)の 翠川秋子さん逃げ出す 事情は何? 放送局沈黙」。記事も「愛宕山のJOAKから毎朝鼻つまみ声で家庭講座の放送をしていた唯一の女アナウンサー、断髪洋装の翠川秋子さんが」という書き出しだ。

日本初の女性アナウンサー・翠川秋子

「世間のうわさに対してどんな態度をお取りです?」と聞かれ……

「考えさせられましたある事情のためと、一身の都合から」退職したことを知らせる文書を知人に送ったと報じている。「先年暮れごろから東京放送局内に同女史を中心として起こった活劇事件のいまだ記憶に新しい今日のことであるから」「放送局内に彼女の存在を許さない何らかの事情がひそんでいるらしく……」と記述しているから、事情はある程度伝わっていたのだろう。

「新名常務理事は『翠川さんは新年早々辞表を出されまして、一身上の都合でぜひ辞めなければならないからと言われますから、ことに婦人のことでもあり、別に干渉がましいことを言わずに聞き届けました』、と簡単に受け流していたが、昨日まで机を並べて仕事をしていた同僚や、職務上当然退職などについて知らなくてはならない地位にある人までが『何で辞めたか一切知りません』と逃げていた」と書いている。

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 読売は同年9月6日付朝刊でも「アナウンサーの行方を尋ねて」の第1回で「曾(かつ)ての翠川秋子さん、今では 本名の荻野千代子を名乗る」の見出しで続報を掲載。「家庭電気普及会の編集主任と早変わり」と書いている。同協会が発行している雑誌「家庭の電気」の編集を一手に引き受けていたという。記事では「日本職業婦人協会を始めているから、これを大きくするの。仕事? 職業婦人の救済よ。ミシンや編み物の教授、副業仲介、それに職業仲介。放送局を首になった時の浪人の体験もあるから、一生懸命で困っている方を助けてあげるの」と抱負を語っている。「あなたは身辺を取り巻く世間のうわさに対してどんな態度をお取りです?」という記者の質問に「一々怒っていても大変だから聞き流してるわ。弁明の要はなし、公然といばれることのほかしないし……」と答えている。

 家庭電気普及会は後藤新平が会長の社団法人。放送局に続いて、ここでも後藤人脈に救われたことが分かる。