「元中央大ラグビー部主将の好男子」と心中か
時事には山中旅館で過ごしていた2人についての旅館の談話が載っている。「夫婦と称し、大変仲がよく、女の方は上流階級の奥様然として」「きりっと引き締まり、それでいてどこか病身に見える非常な美人で、女の方が甘えていました。毎日朝から海へ行って泳いだり、ボートで魚釣りをしたりして、夜は差し向かいで晩酌をやったり、トランプを夢中になってやっていました」「なるべく他との交渉を断ち、人目を避けていたようでした」。
8月21日付東朝朝刊は「翠川女史・死の相手 元中大ラガー 蒲田区役所勤務の好男子」の見出しで、藤懸羊次が中央大ラグビー部で主将をしていたことなどを報道。同じ日付の読売は2人の「なれそめ」をこう書いている。「初めて知り合ったのは3年前の昭和7(1932)年11月であった」「同君がその年の秋、同大学ラグビー部が大阪へ遠征した際同行。その帰りの列車中で初めて女史を知った」。別項で羊次の父親は「心中するほどの仲だったとは知らなかったが、事実とすれば、息子は引きずられたのではないか」と発言。秋子の長女美代子は「母が新宿におでん屋を出していた時、藤懸さんはたびたび見えており、母と非常に親密にしていました。しかし、藤懸さんは私たちの母を本当の母のようだと言い、母自身も藤懸さんを自分の子どものような態度で交際していた」と話している。それにしても、この読売の記事の見出しは「戀(恋)の骸(むくろ)と消えた翠川女史 “母性”解消の失踪は 女人愛慾(欲)の情死行 若き愛人と最後の営み」。当時にしても書きすぎではないか。
「遂に母性から女性に転落」映画化の話も
その後も、秋子の遺体がボートで運ばれて山中旅館に安置され、3人の子どもが駆け付けて遺体と対面したことを各紙は大々的に伝えた。火葬場で遺体が荼毘に付され、遺骨を抱いた3人の兄妹が両国駅に着いた際の写真も。最終的に羊次の遺体は8月25日午後、海上で発見されたが、その間、かなりの過熱報道が行われたようだ。そのあおりか、映画化の話もあったらしい。
国策通信社の同盟通信社が発行していた「国際写真新聞」9月8日号は「怪しからん・だが・近代的な… 翠川秋子情死事件と母親興行化映画」の見出しで「日活と松竹という、日本における最大最古の両映画会社が堂々と映画化、満天下に発表するというのである」と伝えている。
「冷酷な現代の社会機構の重圧のために、遂に母性から女性に転落。哀れはかなく散った一人のかよわい女のために、満天下の女性に訴え、全社会へ抗議する」という触れ込み。遺族も映画化に同意したらしく、「日活は、事件をより『生々しく』『より赤裸々に』描いて、真に『翠川女史をなぐさめるため』翠川女史の遺児・翠川奈美江こと荻野美代子さんを、遺児のままの役で出演させることに契約が成立した―という」としている。しかし、映画が完成・公開されたという話はない。どうなったのだろうか。