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「富澤が『兄さんは仙台で、フリーのタレントやるんですよね。オレたちが(東京で)ダメだったら、仙台で一緒にローカルタレントとしてやりたい』って言い出したんです。僕は少しカチンと来て、富澤に『コンビを組み直して仙台で初舞台も踏まずに東京に行くのに、戻って来ても仙台は絶対に受け入れないよ』って突き放しました。

 それで、僕が仙台駅前で若手芸人を出演させるライブを主催してたので、『3日後に舞台があるから、そこでネタをやりなさい』と言いました」

最初のライブは思いっきりスベッていた

 伊達の説得に成功したものの、まだネタを作っていなかった富澤。3日後の98年7月12日には、作り立てのネタを引っ下げて、仙台の地で富沢と伊達の2人が初めて漫才をする姿があった。コンビ名は以前と同じ「ゆやゆよん」だった。

初めて仙台で初舞台を踏んだときの伊達(左)と富澤(貝山さん提供)

「当日、富澤が連れてきたのが青いジャージを着た伊達ちゃん。同じずんぐりむっくりの2人だから、ビジュアル的にこれは売れないと思った(笑)。伊達ちゃんは就職して会社員になったけど、富澤からラブコールを受けて、ライブは何度も観に来ていたみたい。それで舞台でお笑いやってる富澤が輝いて見えたと話していました。舞台の当日は、サッカーW杯の新ネタを3日間で作ってきて、緊張で思いっきりスベッてたけど、上京する日を遅らせて僕への仁義を尽くしてくれたんです」

初舞台前にステージ脇で緊張気味の伊達(貝山さん提供)

 仙台での初舞台を終えた2人は、長距離バスに乗って上京した。

「サンドは結局、上京してからも仙台の仲間と手弁当でライブをやるようになりました。僕も『交通費くらいしか出せないけど、親に顔を見せられるだろ』と言って、2カ月に1度くらい仙台のイベントに呼んでいました。富澤はすごく人見知り。お酒も飲めない上に魚介類なんかも嫌い。いつも飲み明かすというよりは、餃子を食べながら話すくらいですね。伊達ちゃんは後輩の躾上手だし、人の話もよく聞いて、リーダーシップが取れる“ザ・営業マン”。富澤の方が付き合いは長いけど、いまご飯は伊達ちゃんと行くことの方が多い。

 それで伊達ちゃんと付き合うようになって、富澤がずっと口説いていた理由が分かった。人として富澤にないものを伊達ちゃんは全部持っているんです。それを富澤も分かっている。伊達ちゃんも富澤の手綱をずっと引っ張っていて、2人が結婚してもやっていけると思うくらいだね(笑)」