〈保育園・小学校・中学校を閉鎖しなかったのは、他国との大きな違いです。それには、いくつか理由があります。
まずスウェーデンでは共働きが普通なので、子供の世話が問題になります。感染拡大で医療機関の負担が大きくなるなかで、休校措置を採った場合、医療従事者の10%が子供の世話のために欠勤を余儀なくされる、という推計が出されました。子供の世話を祖父や祖母が担うと高齢者の感染リスクを高め、本末転倒になる、という懸念もありました。子供の集団は、感染拡大に加担する可能性は低いとも判断されました。最も恵まれていない子供のいる家庭ほど負担が大きくなるという懸念もありました〉
スウェーデンの「感染者数」を見ても意味はない
上田氏は、「感情ではなくエビデンスで判断するのが我々の『民度の高さ』だ」というのが、スウェーデンの“国民的プライド”“一種の愛国心”の表現になっていると指摘しているが、休校措置一つとっても、“スウェーデンのエビデンス重視”の姿勢が感じられる。
ただ、上田氏はこうも付け加える。
〈私はスウェーデンの政策に対して支持も反対もしていません。そもそも政策を適切に評価できるだけの明確な「エビデンス」はないからです〉
我々は、日々の感染者数の発表に一喜一憂しているが、上田氏はこうも指摘する。
〈(スウェーデンでは)これまで検査は、入院する患者のみを対象としていました。そのため、入院が必要なレベルにまで重症化しないケースは、統計に含まれていません。検査能力が足りず、また優先もされなかったからです。
ですから、スウェーデンの「感染者数」を見ても、まったく意味はありません〉
さらにこう続ける。
そもそも国ごとの比較は困難
〈国ごとの比較も無意味です。検査の仕方が違うからです。
そもそも国ごとの比較は困難で、そこから各国の対策を評価することに、私は抵抗を感じます。
第一に、国ごとにデータの質や死因の定義が異なり、データの漏れにも違いがあります。
第二に、国ごとに人口密度、年齢構造、基礎疾患の有病率、行動パターンが違うわけですから、単純に比較はできません。
第三に、ホットスポットやクラスターで感染拡大が起こる感染症ですから、国ごとの違いよりも、国内の地域ごとの違いの方が大きかったりするので、国ごとの比較にどこまで意義があるのか〉