現代アートは好まれている。ひとたび、書店に足を運べば、美術好きのための入門書だけでなく、仕事に生かせるツールとしてのアートの知識や見方を解説するビジネス本が毎月のように出版されているのを目にする。

 山口周の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』は17万部を売り上げ、「大学4年間の○○が10時間でざっと学べる」シリーズの最新刊では「西洋美術史」が扱われている。つまり、美術は社会人の必須の教養科目として、出版界では共有され、多く読者に届けられているのだ。

 またコレクター向けの新サービスも続々とローンチされている。ブロックチェーンを利用して作品の保証書発行や来歴管理をするスタートバーン、アート作品を共同保有できるANDART、作品売買や展覧会入場料とは別の仕方でアーティストを資金援助できるArtSticker。総じて、現代アートのマーケットへの参入障壁はどんどんなくなっていっているのだ。

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 なにより現代アートの展示や芸術祭には数多くの来場者が訪れている。日本を代表する現代アートの美術館、森美術館は巧みなSNS戦略も相まって、2019年に開催された塩田千春展は現代アートの展覧会にもかかわらず、約67万人の来場者数を記録し、その年の来場者数ランキングの3位に輝いている。ほかにも森美で2019年に開催された展覧会はすべてトップ10にランクインしている。

塩田千春展 ©時事通信社

 いわゆる芸術祭等々においても、あいちトリエンナーレ2019では過去最大の来場者数、約68万人を記録している。これらはすべて客観的なデータに基づく記述である。

「アート嫌い」を解き明かすキーワードは「無用の長物」「特権意識」

 だから、現代アートは好まれている。けれど、嫌われている。現代アート嫌いを解き明かすキーワードは「無用の長物」「特権意識」だと私は考えている。順を追って説明しよう。

 よく言われるのは「わからないから」というものだ。入門書が出版されるのはそれを解消するためだが、その数に比して、分からなさが解決しているとは思えない。むしろ、その解説によってアート嫌いが助長されていることも否めない。例えば、そのほとんどに登場する作品にマルセル・デュシャンの《泉》(1917年)がある。男性用小便器に「R. MUTT」と署名されただけの作品で、見覚えのある方もいるかもしれない。

 当時、本作はアンデパンダン展、つまり無審査の展覧会に出展したにもかかわらず、撤去された。無審査といいつつ、ある基準を設けていた企画者側の欺瞞を批判したのである。アートとはこういうものであるというルールやしきたりが前衛的な展覧会においても温存されていて、デュシャンはその「制度」を《泉》によって痛烈に批判し、われわれがアートと呼んでいるものの定義を揺るがそうとしたのだ。