なるべく穏便にその場をやり過ごさざるを得ない
事実、私自身もタクシーの運転手から不当な扱いを受けることが嫌というほどありますが、行き先として自宅付近(家を知られたくないので、いつも少し離れた場所で降車するようにしています)の場所を伝えているため、恨みを買ってしまえば何が起きるか分からないことを考えると「なるべく穏便にその場をやり過ごさざるを得ない」のは、痛いほどわかります。
また、車内という「密室」において、自分が力では敵わない男性と2人きり、しかもハンドルを握られている以上、相手の気分次第で自分をどうにでもできる状況に置かれている関係から、運転手の機嫌を損ねると身に危険が及ぶ可能性すらあるわけです。
相手からの権利侵害へ「抵抗の意」を表明するのは当然の正当な行為ですが、「もしものことがあったら」と考える女性や力の弱い人たちにとっては、悔しい気持ちを押し殺しながら泣き寝入りをする人々が多く存在しているのが現状です。
被害を訴え出た人たちに浴びせられる中傷
さらに問題なのは、2つ目の理由として考えられる「被害を訴え出る人々に対して第三者から投げかけられる批判、反発、中傷」の多さです。
少なくともタクシーハラスメントへの問題提起的な記事を書いた私のもとには、「ただの被害妄想」「もっとマシな作り話をしろ」「人に横柄な態度を取るのは圧倒的に女が多いんだから自業自得」という風に、「そんなことが起こるわけがない」と思い込んでいる人たちからの攻撃的な言葉が次々に届きました。
なんらかの加害行為が明るみに出たとき、「被害に遭うほうに原因がある」として被害者の「落ち度」を指摘したり、場合によっては「こうだったのでは?」とありもしない話を捏造してまで執拗に責め立てたりする人間が一定数いるのは、何も今に始まったことではありません。
いじめられる側にも原因がある。露出度の高い格好をしているから痴漢に遭う。きっと思わせぶりな態度を取ったのだろう。
このように、「自分がそう思うこと(=偏見)」を自己正当化する誤った責任追及の構図を、「ヴィクティム・ブレーミング(犠牲者非難)」といいます。
加害者でなく犠牲者を非難する発想が生まれるのは、強者に抗議して問題解決をはかるよりも、弱者を黙らせておく方が圧倒的に簡単で、一見して問題を解決したように見せかけたり、見て見ぬ振りをしたりできるためです。
こうした「思考停止」のような言葉は今までもよく使われてきたものであって、みなさんも一度や二度、耳にした覚えがあるのではないでしょうか。もちろん、仮に「原因」があったとしても悪いのは100%加害者であって、暴力や性犯罪が正当化される理由にならないのは明らかです。
ですが「タクシーハラスメント」の被害のように、抑圧されてきた当事者が声をあげても、悪意を持ってそれを「なかったことにしようとする」人々のせいで問題が表面化しづらい状態は、とても看過できるものではありません。